神天上法門
神天上法門
しんてんじょうほうもん
神法門ともいう。
日蓮宗では古来より「神天上」ということを主張し、日蓮聖人もまた力説されている。
その典拠は、『立正安国論』の「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。
故に善神国を捨て相去り、聖人所を辞して還らず」(定二〇九―二一〇頁)・「盲瞽之輩迷惑之人妄に邪説を信じて正教を弁へず。
故に天下世上諸神衆経に於て、捨離之心を生じて擁護之志無し。
価て善神聖人国を捨て所を去る」(定二一三頁)の文である。
即ち禅・念仏等の諸宗及び真言の邪法が、法華の正法を覆い隠し、諸天善神は法味をなめることができないため、天にのぼって国の守護を放棄するということが善神捨国思想で、これを神天上法門という。
しかしこの法門は善神捨国の一面性のみではなく、聖人が『観心本尊抄』(定七一九頁)に示されたように、末法という善神捨国の日本に地涌の菩薩(本化弘通者)が出現して、法華経の真髄たる五字の要法を弘めるから、守護の善神は還り来たり、弘通者を守護するであろうとの確信をいだかれている。
更に『法門可被申様之事』(定四五五頁)に、日本の諸神の中で八幡大菩薩をもってその代表とし、その八幡も件む処がないから天に昇ってしまったが、正法の弘まるのを見れば、当然その弘通者のところへ還帰するという。
そして聖人が文永八年(一二七一)九月一二日竜口ヘ赴く途中、鶴岡八幡宮の前で「八幡大菩薩に最後に申すべき事あり、とて馬よりさしおりて高声に申すよう。
いかに八幡大菩薩はまことの神か」(定九六五頁)と叱咤したという、いわゆる八幡社頭諫言であるが、これなども八幡の来下在社を確信していたゆえの発言であろうと思われる。
のちの弘安三年(一二八〇)一一月一四日社殿を焼いてしまった八幡ではあるが、「此大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給ふとも、法華経の行者あるならば其所に栖み給ふべし」(定一八四九頁)と述べ、擁護来下を強調され、悪世末法の謗法充満の悪国には善神は捨国上天してしまうが、この時に当って救世の大導師が出、法華の正法を弘めるならば、諸天善神も還帰擁護するとされている。
この法門についての直弟たちの記述は少ない。
聖人滅後最初の教団分裂をおこした白蓮日興の『原殿御返事』に、南部実長の三島神社参詣問題が記されている。
即ち日興は日頃から「此国に守護の善神無と云事」(『宗全』第二巻)と指導していたが、実長が鎌倉在勤中諸弟子から聞いたところでは、「諸神此国を守り給ふ尤も参詣すべく候」(前掲書)と教えられていたので、三島神社に参詣しても謗法罪にならぬであろうと考え、それを実行しようとした。
日興はこの実長の行為を聞いて、弟子の越後房を使いとして思い止めようとした。
そこで実長は、その当否を民部日向に聞いたのである。
日向は「守護の善神此国を去と申す事は安国論の一篇にて候へども、白蓮阿闍梨外典読に片方を読て至極を知らざる者にて候、法華の持者参詣せば、諸神も彼社壇に来会すべく、尤も参詣すべしと」(前掲書一七一頁)と答えた。
おそらく先に述べた鶴岡八幡宮の炎上事件に関連して述作された『諫暁八幡抄しの旨をもって、実長の行為を認められたものと思われる。
要するに日興は捨国面を強調して擁護面を無視し、日向は捨国のことはもちろんであるが、擁護の面のあることも忘れてはならぬ、とそれぞれ主張している。
久遠成院日親は『伝燈抄』にこの神天上問題について、「日向聖人の御法理正義なるべしと存ぜず」(前掲書一八巻)と日興の説に与同している。
《宮崎英修『日蓮宗の守護神』、同『不受不施派の源流と展開』、中條暁秀「日蓮宗上代における神天上義について」(『印度学仏教学研究』二三-二)》