歌謡
歌謡
かよう
和文の仏教歌謡の代表とされる和讃は、日蓮宗では他宗の盛行に比べて用いられることが少ない。
ただ古来、日蓮聖人の作と伝えられる「法華和讃」があり、『録外御書』(寛文二年=一六六二)、『日蓮聖人御伝記』(延宝九年=一六八一)以下、近代の『縮刷遺文』『昭和定本』第三巻などに収められている。
宗門内の伝来史を遡ると、室町中期の身延山日意の『大聖人御筆目録』(久遠寺蔵)に見えるのが初見かとされる。
また歌謡史の側では『仏教和讃全書』『日本歌謡集成』巻四、『釈教歌詠全集』巻五などに入っているが、近時、新間進一・武石彰夫編『中世仏教歌謡集(上)』(古典文庫)、武石編『仏教歌謡集成』に、叡山文庫の異本二種が翻刻された。
内容は九二句より成り『法華経』の要旨をあげその尊貴をたたえるものである。
多屋頼俊『和讃史概説』では調子の弱さや冒頭の「帰命妙法蓮華経」の表現など五点を示して、聖人作説を否定した。
前述『昭和定本』の扱いでも第二輯続編の部に入っており、聖人作とはいいがたいであろう。
ただ、後白河院の『梁塵秘抄』巻二法文歌の「釈迦の説法説く場(には)に/幡蓋風に翻し/多摩羅跋香満ち満ちて/喜見城より華ぞ降る」の歌と類似する部分があり、他の和讃・訓伽陀にも似た点があり、中世に創られたものであろう。
因みに右の『梁塵秘抄』巻二の法文歌二二〇首は、法華経歌二八品一一五首を含み、「今様」の形で歌われた秀れた法華経文学といえる(『日本古典文学大系』『日本古典文学全集』『新潮日本古典集成』などに注解を付した翻刻がある)。
維新前まで毎年旧一〇月に身延山久遠寺の延年(中世の僧徒の芸能)に行われた大衆舞の歌謡「山林樹下に独り居て/静に法華を誦すれば/白象王に乗ってこそ/行者の前には見へ給へり」が明治期の写本に残っている(本田安次『日本古謡集』など所収)。
これは高山寺蔵の写本『古和讃集』(仮題)に見えるものと合致し、また『知恩伝』巻上にも見える歌謡であって、中世に遡りうる古い歌謡であろう。
なお、久遠寺所蔵『梵唄(ぼんばい)』は、身延山声明(しようみよう)の貴重な文献であるが、その中に和文体の歌謡七編があり、例えば祖師誕生会所用のものとして「蓮祖出世の素懐は/諸宗の邪義をしゃくぶくし/誹謗の科をあらためて/無間の道をふさぐなり」等の訓伽陀ふうの作風を示している。
本書は武石編『仏教歌謡集成』に翻刻されており、同解説によれば、この書の声明は大原魚山声明の系統下にあるものかとされている。
また鎌倉時代末から室町期にかけて、主に武士や公家の間に流行した宴曲(早歌)の中には、仏教色の濃いものが多く、「法華」という曲(『真曲抄』・『日本歌謡集成』巻五・『宴曲全集』所載)では、ズバリ『法華経』の徳を主題に一曲を仕立てているが、日蓮宗とは直接に結びつけられないようである。
歌謡関係のものとして、中世の代表的な音楽書『體源鈔』に触れておく。
永正九年(一五一二)、楽人豊原統秋の著で『日本古典全集』に翻刻されている。
豊原は熱心な日蓮宗の信者で、書中随所に御遺文を引いて宗義を説き信仰を鼓吹した。
一三巻二〇冊より成るが、毎冊の末尾に「南無妙法蓮華経」と記している。
文禄・慶長のころ(一六世紀末から一七世紀初めまで)流行した隆達節歌謡は『閑吟集』などに見られる小歌を更に洗練させたものであるが、その代表者高三(たかさぶ)隆達はもと堺の日蓮宗の寺、顕本寺の僧で還俗した人であった。
近世邦楽の中では、上方系の浄瑠璃の圏内での一中節・宮薗節・常磐津・清元などの詞章に日蓮宗の唱題を扱ったものがいろいろある。
『日本歌謡集成』巻一〇所収の一中節の集成書『都羽二重担子扇』の「お七道行」や宮薗節の『宮薗鸚鵡石』の「歌経の段」では、共にお七吉三を扱うが、例えば前者ではお七の刑場への道行に「只頼むによ題目の。
ウ妙の一字や南無妙ウ法蓮華経南無妙ウ法蓮華経。
ウ地唱へ唱へて法の道寂光浄土の玉の台(うてな)の数々にウ地むかえ給へや南無妙。
法蓮華経法蓮華経」というふうになっている。
なお清元節の「其小唄夢廓(ゆめしわのよら)」や「袖浦涙春雨」などの小紫・権八の話などにも唱題が用いられている。
そのほか、一曲全体が日蓮宗系のものでは、聖人の竜口法難の物語のあらましを綴った一中節「龍の口」があり、『日本音曲全集』第一一巻などに収められている。
これらは、邦楽における日蓮宗義の受容の一端を示すものに過ぎないが、近松らの浄瑠璃におけるそれと合わせて考察すべきであろう。
近世における庶民的な仏教歌謡として、盆踊などに伴って行われる念仏和讃の類は、全国各地に見られるが、日蓮宗系のものには芸能として題目踊があり、歌題目と呼ばれる歌謡が知られている。
題目踊として古来著名なものは、京都市左京区松ケ崎の涌泉寺境内で毎年八月一六日の夜行われるそれで爺 ホーホー、南南(ナーンナーン)無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、爺 ホーホー、南南無妙法蓮華経、爺 南無妙法イホホレ蓮華経ホー」というふうに、お題目を節にして謡い踊るものであり日本放送協会編『日本民謡大観(近畿篇)』(昭和四一年=一九六六)に曲譜が収められている。
そのほか、近代民謡を集めた『日本歌謡集成』巻一二所載の千葉県市原郡の歌題目には「村田の権の」「中山」の二首を掲げる。
「中山の御祖師の前で、題目お船が、おつきやる。
檣七字の御曼陀羅帆に揚げて、表には、三十番神五番天神、あの船に皆が乗るなら、わし等も乗りたい。
南無妙法蓮華経の帆の下へ、この船を風に任せて、お祖師の前におつきやる」(中山)。
因みに「立渡る身のうき雲もはれぬべしたえぬ御法のわしの山風なむ妙法蓮華経なむ妙法蓮華経」と題目太鼓を叩き拍子をそろえて踊るさまを叙した常磐津の古曲(大和文字恋の歌(ことのは)―『常磐種』所収)もそうした流行の一端を伝えていよう。
日蓮聖人の伝記を歌った和讃として、古いものは見当らないが、『仏教和讃五百題』(大正五年刊)には「日蓮上人和讃」一編を載せている。
作者や成立年代は未詳である。
近代における宗門内外で日蓮聖人鑽仰の唱歌や歌曲として作られたものも多いと思われるが、新体詩の制作とあわせ調査が必要であろう。
《多屋頼俊『和讃史概説』、武石彰夫『仏教歌謡の研究』、『仏教歌謡集成』、高野辰之『日本歌謡集成』、山上ゝ泉『日本文学と法華経』、『歴世法華文学物語』》(新間進一)