曲林一斧
曲林一斧
きょくりんいっぷ
一巻、小川泰堂著(河泰山の名にて記す)、天保一〇年(一八三九)著す。
明暦二年(一六五六)に書かれ、元禄四年(一六九一)刊行され、文政八年(一八二五)に浅草榧守の僧稱蓮社唯誉が再版して世に弘めた増上寺沙門観阿の著作『四箇度宗論記』に対する日蓮宗側からの難詰の書である。
序に「ますます、法山の曲木を研き、斧斤に非ず。
其の功をもおさず」との意にて題号となし、その本意は、凡例の文に「此書の本意とする処は、中人已上の為にあらず。
澆季の習なれば、無学の村翁、有疑の老婆、動もすれば念仏の獄卒に襲はれて、四度論記の旨を信ず。
此等の為に著す書なれば、宗門の外廓のみを述べて、奥蔵にいたらず」とあり、その叙述「四度論の条々は、誉る処一二行に過ず。
纔わずかに其要を取て、我返答を其次に述べて、見やすからしむ。
頭に責曰とあるのは、皆返答の条々なり。
惣て四度の宗論広しといへども、撮て論ずる処凡二一箇条、一々難責を加て全巻とす。
彼書もとより拙ければ、又己が拙き詞を以って返答を述ぶ」と、その内容、四箇度宗論記の文章より文を二一箇所引用、その文を記載、それに対して、責曰と難責を加えている。
二一箇条すべてこの形式を採っており、最後に付録として念仏宗一言詰を載せている。
その文「愚昧の観阿」「法然此等の御経をしらずば生盲らなり」「所謂猿智恵なり」等かなりの罵詈雑言が含まれている。
以下各条の内容を述べるに、
(1)四箇度宗論記の刊行に関して詳解し、その述作に対して法然上人七箇条制誡の文「設ひ念仏を謗る者ありとも。
謗返する事なかれと云云取意」の意を引いて非難、反駁している。
(2)「定業は転じ難し。
仮令惣身へ残らず張護符するとも。
片時も寿命を延る事能はずとは」の文にてその可能について天台等の文にて糺している。
(3)日蓮宗を法華宗または御宗旨というを難ずるに対しての反論。
(4)念仏宗の徒を改宗させているが、これ命終の後三悪道に堕ち、子孫三代は続くとの難に対して、反駁。
(5)日蓮宗の爾前を誹謗しているとの非難に対し、法華経正直捨方便等によって駁論。
(6)文治聖浄論(四箇度宗論之第一)大原問答、その廃立に対する反論。
(7)法然上人の「仏果は得がたしといへども。
往生は却て得易し」の文に対し、成仏と往生についての難詰。
(8)散乱念仏の濁世末代機感相応に対して法華経の文を引いて反論。
(9)「法然上人を智慧第一とし、念仏を称し往生を願うは師を以て祖とする」の文に対しての非難。
(10)文亀真偽決(四箇度之第二)に対しての難。
(11)天正邪正決(四箇度之第三、安土問答)に対し、信長の日蓮宗日珖上人に対して五箇条の恨をあげて、日蓮宗側を弁じている。
(12)同問答中の捨閉閣抛の事についての文に関しての非難。
(13)同問答の後の狂歌の落文に対しての非難、そして返歌。
(14)天正七年五月二七日に出した日蓮宗側の浄土宗等に対して、宗論等をしないという敬白起請文を持っての難に対する反論。
(15)「於㆓ 江州安土慈恩寺㆒ 法華浄土問答録」に対して、日蓮宗側に伝わる文書を挙げての反論。
(16)貞安と日珖との対比をし、その優劣を論ず。
(17)慶長虚実決(四箇度之第四)に対しての日経上人に対する弁護並びに浄土宗側に対する非難。
(18)諸経無得道の説に対する難に対しての反論、
(19)未顕真実の文に対する難の反論。
(20)法華経譬喩品の文に対する難に対しての反論。
(21)念仏無間地獄の言を経釈の中の何処にあるやを求めた日蓮宗僧侶より出された一通の文に対する非難の反論並びに弁護。
以上二一条に亘り反論・非難を記している。
《『仏全』九七巻、『仏書解説大辞典』「曲林一斧」の項》