三障四魔【教学】
三障四魔【教学】
さんしょうしま
三障とは仏道修行を妨げ、善根を害する三種の重障のことで三重障とも称し、煩悩障・業障・報障(果報障・異熟障)をいう。
四魔とは人の身命・慧命を奪う四種の魔で、五陰魔(蘊魔)・煩悩魔(欲魔)・死魔・天子魔(他化自在天子魔)をいう。
『発智論』(第一一)・『倶舎論』(第一七)等によると、煩悩障は本性具足の貪瞋癡、業障は五無間業、報障は三悪趣と人趣の中の北洲、天趣の中の無想天とをいう(『涅槃経』では北洲と無想天が誹謗正法と一闡提となっている)。
更に『涅槃経』(第三)・『増一阿含経』(第五一)・『大智度論』(第五・五六・六一・六八)等によると、五陰魔は身中の五蘊がすべて奪命の因縁となり、煩悩魔は身中の煩悩が慧命を奪い、死魔は死によって奪命し、天子魔は善根を妨礙するをいう。
四魔の内、前の三は内魔、後の一は外魔である。
これらの魔は仏道の修行を恐怖せしめ、菩薩を壊乱し、人心を害して菩薩を軽悩せしめ、行者を罵詈・打擲・傷害し、行者に瞋恚を生ぜしめる。
天台大師智顗は『摩訶止観』(第五)にこれを詳釈する。
日蓮聖人は智顗の釈に依憑し「此釈は日蓮が身に当るのみならず、門家の明鏡也。
謹て習伝へて未来の資糧とせよ」(『兄弟鈔』定九三二頁)と述べられている。
また三障四魔について聖人は「三障と申すは煩悩障・業障・報障也。
煩悩と申すは貪・瞋・癡等によりて障礙出来すべし。
業障と申すは妻子等によりて障礙出来すべし。
報障と申すは国主父母等によりて障礙出来すべし。
又四魔の中に天子魔と申すもかくの如し。
」(同)と詳述されている。
一念三千の法門が弘通される時には必ず三障四魔が出来する。
『摩訶止観』(第五)には「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起る」とあり、三障四魔の出来をもって、弘通の法門の正義が証明される。
聖人の法華経の弘通には、すでに三障四魔の出来が予測されていた。
『開目抄』には「これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠・国主の王難必ず来るべし。
いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経に此二辺を合せ見るに、いわずわ今生は事なくとも、後生は必無間地獄に堕べし。
いうならば三障四魔必競起るべしとし(知)ぬ」(定五五六頁)と、弘通の身にふりかかる諸難忍受の覚悟を表明されている。
『三沢鈔』には成仏せんとするところには必ず三障四魔が出現することを述べ、とくに天子魔を第七の大難として、第六天の魔王の障礙を具体的に説示され、提婆達多・阿闍世王の大難はこの魔王によるものとし、末代にはこれら在世に超過する大難が出来し、これを忍受することによって、経文に符号し、法華経の行者の証を得るとされる。
《『遺文辞典』教学篇「三障四魔」の項、『日蓮辞典』「三障四魔」の項、『岩波仏教辞典』「三障」「四魔」の項》