当体義鈔(一三四)
当体義鈔(一三四)
とうたいぎしょう
日蓮聖人が佐渡一谷において撰述せられたと伝えられているが、述作の年時については古来多くの異説があり、また真偽問題の喧しい御書の一つである。
その執筆年時は建立日諦の『高祖年譜』及び『年譜攷異』には文永一〇年(一二七三)といい、六牙日潮の『本化別頭仏祖統紀』第七巻は弘安元年(一二七八)、『境妙庵目録』は弘安三年正月、智英日明の『祖書目次』は弘安三年八月一日、禅智日好の『録内扶老』第一一巻には「佐州已後延山退居の時の抄と見へたり」(日全本六三九頁)とあって、身延期に系けている。
『昭和定本』では『高祖遺文録』『縮刷遺文』に従って、文永一〇年の系年説を取っている。
本鈔の対告者であるが、『当体義鈔送状』に最蓮房の名があることから『得受職人功徳法門鈔』『諸法実相鈔』と共に最蓮房に与えられたものということになる。ただし本鈔末には年時も宛名も記されていない。
本書の真蹟は現存しないが、『録内扶老』には「享保八年八月三日紀州中納言殿の母堂従(よ)り、論文山家より不聞本門当に至るまでの御消息見せに来る御正筆なり。然れば此の抄の正筆散して在りと見へたり」(日全本六三九頁)と述べて、本鈔の「論文山家」(定七六四頁一三行)から「不聞当」(定七六五頁一行)までの真蹟が現存したことを記している。
もしこれが真蹟であれば、断片が散在していたとも思われ、また偽撰であったとすれば真蹟と称する書写の断片があったことが推察される。
しかし日好が真蹟を拝したと記しているが、日好自身は本鈔の全体を日蓮聖人の撰述とは見なしていない。
本鈔の真偽論は、甘露院日泉(一七三九-一七九一)の『当体義鈔真偽弁』一巻に代表されるように多くの論議がなされている。
ことに『録内扶老』では五箇の疑難を掲げている。
即ち「今案ズルニ当御書恐ハ宗祖ノ親撰ニアラザル歟。当体義抄ノ送状等アル故之ニ因テ後人之ヲ製スル歟。本ト此ノ当体義抄ト云ヘル書ハアルベシ、然リト雖モ今書ノ全分ニハアラザルベシ、後人真正ノ書ニ添加シテ之ヲ製スル歟。一ニハ大強精進経ノ事不審ナル故拾遺ノ如シ、二ニハ守護章ノ釈論ヲ龍樹ノ智論ト云ヘルコト亦大ニ疑シ、三ニハ籤ノ一ノ開近顕遠皆入初住ノ文再ビ初住に入直スト云コト台家ニ一向之無キ法相ナル故、四ニハ今ノ文已破無明并仍居賢位等ノ判釈亦台家ニ之無キ教相ナル故、五ニハ当書ノ文前後乱脱スルコト多シ、啓蒙等ノ如シ、余ノ書ニ類セズ、之ヲ以ッテ之ヲ思ニ恐ハ真撰ニアラザル歟」(日全本六四六頁)と、『当体義鈔』所引文献の問題、教説内容及び構成等に疑義を加えているのである。
これに対し、優陀那日輝は『当体義鈔略要』に、本鈔の乱脱は認めながらも真撰としている。
さて本鈔は一九番の問答より成っているが、題号の「当体」とは当体蓮華のことであって、妙法蓮華の蓮華の二字は当体蓮華、譬喩蓮華の中、前者をもっぱら主張としている。
そして妙法蓮華の当体を蓮華という立場から、一切の森羅万法がことごとく当体である旨を明かす。しかも我等行者の一心の当体そのままが蓮華であることを顕す意味で「当体義抄」というのである。
その大意は十界の依報正報のすべては当体蓮華であること、また法華経を修行する末代我等の当体は妙法蓮華の仏であるという当家の信行が示されている。
本迹論においては本門いまだ顕れざる以前の迹門と、已に顕れてのちの迹門とを区別し、更にまた本門ひとたび顕れおわれば、本迹一致の旨が述べられている。
しかし本書の内容は中古天台思想の色彩が強く、十界の森羅万法一切衆生の当体が蓮華であるという説示は中古天台の当体蓮華義であって正統天台の義ではない。
また『開目抄』『観心本尊抄』の真蹟遺文にみられる信仰的な世界が見られないのである。
《『遺文辞典』歴史篇「当体義鈔」の項》