八宗違目鈔(九六)
八宗違目鈔(九六)
はっしゅういもくしょう
一篇。
日蓮聖人が佐渡流罪中に、経釈の文を中心に抄出して著された書。
御真蹟二四紙が現存し、京都妙顕寺に所蔵されている。
文永九年(一二七二)二月一八日の系年であるが、山中喜八は文永一〇年の筆とする(『日蓮大聖人御真蹟対照録』)。
本鈔は本尊と十界互具一念三千の問題について諸宗の誤謬を破斥されたものである。
即ち天台大師・伝教大師を正統とする法華宗の立場から、それ以外の八宗である倶舎・成実・律・華厳・三論・法相・真言・浄土は、いずれもその本尊に誤りがあることを指摘される。
法華宗の本尊は発迹顕本された本地三身如来であって、三身ともに無始無終の仏格を有たれた釈尊である。
つまり寿量品に開顕された主師親三徳具備の久遠実成の釈尊が本尊なのであり、この釈迦如来を父とすることを知らない八宗は「父統の邦に迷う」ものであり「禽獣に同じ」であると論破されている。
そして八宗は共に衆生の三因仏性を明かさないから、成仏の法理なしと破斥される。
次には華厳・真言の両宗が十界互具一念三千の法門 を説くことの非を示される。
即ち両宗の依りどころとなる経釈の文献を引いて、彼々の本経には一念三千の原理はなく、また両宗の人師が論釈で主張するのは、天台の法門を偸んだものと述べられる。
つまり本鈔の主旨は法華宗と八宗との違目を論ずることによって、法華経寿量品の釈尊こそ本尊であることを明かし、その原理たる十界互具一念三千の法門は法華経にのみ説き明かされていることを力説することにある。
本鈔の叙述態度は経釈を藉りて自己の論評に替えるという方法であり、この本尊と一念三千の教学的な問題は『開目抄』『観心本尊抄に至って展開されることになる。
【補記】本書真蹟の原型は全二一紙で、二二紙は二一紙の裏面に、二三紙は二〇紙の、二四紙は一九紙のそれぞれ裏面に記されたもので、それを後代に相剥して独立化させたものである。最末の「恐々謹言」以下「二月十八日」の日付および署名花押は代筆であることが、『対照録』に指摘されている。その筆者は妙顕寺朗源(一三二六-七八)であろうとの指摘が近年出されている。
《『遺文辞典』歴史篇「八宗違目鈔」の項、『日蓮辞典』「八宗違目鈔」の項、寺尾英智「京都妙顕寺所蔵の日蓮真蹟」(『田賀龍彦博士古稀記念論文集 仏教思想仏教史論集』)》