井上恵宏
井上恵宏
いのうええこう
(一八八九-一九三八)
立正大学教授。
宗学者。
明治二二年静岡県に生る。
長じて静岡県富士宮市三沢寺住職嵯峨恵観について出家得度し恵宏と名のる。
日蓮宗大学に学び宗学を専攻、大正四年(一九一五)三月卒業す。
卒業論文は「当家三益論」。
直ちに研究院生に選ばれ、大正五年比叡山坂本大学に内地留学を命ぜられる。
比叡山で天台学を修習し、その研究成果を翌年『大崎学報』四七号に「天台大師の弥陀法浄土観」として発表した。
この論文は「大師の弥陀浄土観は天台教学中看過すべからざる思想なり」として、天台・妙楽・伝教の思想の中に存在している浄土思想を検討している。
当時の大学には清水龍山・北尾日大・島地大等らが教鞭をとり、望月歓厚・浅井要麟・高田恵忍らが若手宗学者として活躍していた。
大正七年研究院生を終了するや大学の中等科教授となり、以後大学での宗学教育に従事し大正末期から昭和初期に盛んに著述に励んだ。
『大崎学報』には、「天台大師と日蓮上人」(五九号)「四明知礼の観心論における創説」(六一・六三号)と天台教学関係の論文を発表し、大正七年には労作『諸檀林並精貞法類』(影山堯雄らと共著、復刊されて『諸檀林並親師法緑』)を完成させた。大正一二年刊『身延山史』の執筆の労作もある。
大正一三年日蓮宗大学が立正大学に昇格すると宗学科の教授に就任し、昭和四年(一九二九)四月の有名な立正大学六教授休職事件にあう。
師を含む宗学科の六教授は大学の方針と相容れず大学側から休職させられ、大問題となった事件である。
翌年六教授は復職し望月歓厚・浅井要麟ら各師は逆に重要な地位を獲得した。
昭和六年(一九三一)『日蓮門下の殉教史』を刊行し、同時期『日蓮聖人御遺文講義』の執筆陣に加わり、昭和七年第六巻・第一五巻、昭和八年第一一巻・第一八巻を著述して刊行された。
師の代表的な学問的業績はこの『御遺文講義』の各巻であろう。
師は大学に奉職中、師匠の三沢寺を継ぎ、次いで池袋仙行寺三世を継承した。
『御遺文講義』はこの仙行寺で執筆している。
昭和一〇年頃から体を病み大学を退き、昭和一三年一二月三日仙行寺にて遷化。
龍光院日勝。
行年五〇歳。