神力品正意
神力品正意
じんりきほんしょうい
日蓮聖人滅後、室町時代の教学者によって主張された教義の一つで、本門涌出品、寿量品よりも神力品を正意とするもの。
神力品は釈尊が本化地涌の菩薩に対し、妙法蓮華経を付嘱されたのであって、これを別付嘱といい、嘱累品にて法華経の会座にあった総ての人々が付嘱されたことを総付嘱という。
日蓮聖人は『観心本尊抄』に「此本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付嘱したまはず。何に況や其已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したもう」(定七一二頁)と説かれ、涌出品より嘱累品に至る八品に滅後の付嘱がなされたと見られる。
なかでも四句の要法を別付嘱されたのは神力品である。
この滅後付嘱に着目して神力品を中心とする八品正意を主張したのは、慶林坊日隆(一三八五-一四六四)である。
日隆は円光坊日陣(一三三九-一四一九)の一品二半寿量正意論に対して、一品二半をもって本門の正宗分となすのは、在世脱益の一辺であって、いまだ経旨を極めていない。
これは一往の経釈で、再往は本門八品上行要付をもって真実の経釈となすと述べている。
つまり日隆は正宗寿量中心論を去って、久近本迹、在世・末法の判釈の立場から、在世の正宗と末法流通の法体を区別し、正宗寿量品を脱益、神力品の別付嘱を末法の本因下種と見るのである。
このことから、日隆の八品正意論は神力別付嘱論の思想に基づくことが明らかとなる。
このような神力正意思想は、妙顕寺系の教学に見られ、日隆の師事した通源日霽は、神力品を初めて四要品中に数えた人であると伝えられている。
日霽には神力正意を説いたものはないが、瞻山日具(一四二三-一五〇一)は『澗澗亭凾底抄』三巻、『義山致谷集』二巻を著し、寿量品未顕、神力品已顕の法体勝劣を論じ、神力品正意を鼓吹している。
即ち真の一念三千は寿量品の文底にあるといっても、真実には外に説き顕されなかったのであり、発迹顕本がなされても未だ顕されていない。
そして一品二半には結要付嘱の五字を説くことはなく、寿量品は随他意の説であるという。
日具は在世の法華経よりも、上行等に付嘱せられた滅後の法華経をもって法体的に勝れると見なし、在世の正宗分においても説かれていない深秘の妙法を、滅後のために神力品に説いてこれを付嘱されたと解釈する。
この立場から日具は神力正意論を主張しているのである。
つまり日具は寿量未顕、神力已顕を説いて両者の間に法体的な勝劣を論じた。
しかし日隆の場合、寿量品と神力品とを相対するにとどめ、種脱に勝劣を論ずるものではなかった。
しかし、この日隆の神力正意論に対しては、日陣門流並に日真門流が寿量正意論の立場から、神力品は付嘱を正意とするが、付嘱される法体は寿量品に顕説されたものであるが故に、神力正意は無意味であると評破している。