日蓮上人とは如何なる人ぞ(高山樗牛作)
日蓮上人とは如何なる人ぞ (高山樗牛作)
にちれんしょうにんとはいかなるひとぞ
高山樗牛の代表著作の一つ。
明治三五年(一九〇二)四月に報筆。
「日蓮と上行菩薩」「日蓮と予言」に関する研究成果をまとめた樗牛最初の本格的な日蓮聖人論。
冒頭に掲げた言葉、即ち「今の世の凡俗に厭きたるものは、願はくは是の篇を読め。
日本は如何に堕落するとも、吾人は、其の同胞に日蓮上人を有することを忘るる勿れ。
彼の追懐は力也。
信念也。
諸君、若し学究先生の所説を聞くの余暇あらば、吾人と共に是の一大偉人を研究せざるべからず」は、本書の基本姿勢を示している。
まず「法華経に於ける上行菩薩」について論じ、釈尊が謗法不信の充満する末法万年の初めに国土と衆生とを法華経によって救済するため、末法の大導師、上行菩薩を選定して法華経の弘通を付属する説明を明らかにした。
また、時の認識と現実の日本における時代の状況は、いずれも法華経および釈尊の預言として見るべきものといい、日蓮聖人の立脚地はこの預言を現証として示していくことにあったと語る。
「末法の初めすなわち仏滅後二千年より二千五百年にいたる時代に日本国に出現し、迫害を忍受して法華経の教説を一身の現証としてあらわした日蓮こそ上行菩薩出現の預言を実現し、ついに上行菩薩であるとの自信に到達した存在であった。
日蓮の品性・抱負・信仰を抱括した一代の本領は“我は上行菩薩也”という一大自信にあった。
この上行菩薩であるという自信は、つまる所釈尊の預言に対する絶対の信仰と妙経色読の行者としての一身の証悟に基づいていた」と、上行菩薩出現の預言を日蓮聖人が体現した事実を明かした。
更に「法華経の行者としての日蓮」の伝記を語り、その一生を通して「上行菩薩としての日蓮」を浮き彫りにした。
「上行菩薩の出現すべき時機と国土を共有しているという自覚は、日蓮の宗教的生活の初めより存在していた。
日蓮の不撓の精神と遠大なる抱負とが、この自覚に基づいていたのは明瞭な事実なのだ。
法華経に身を捨てた不惜身命の行為は、法華経の教理および預言に対する絶対の信仰に基づいていた。
そして、迫害を忍受して法華経を弘通せよと説く法華経勧持品・不軽品を身に読むことによって、釈尊の預言を現実とし上行菩薩の一大使命を担っていることを覚醒したのである。
日蓮はただ釈尊に対する無限の帰依によって“我は上行菩薩”という金剛不壊の確信に到達した。
この大いなる確信こそ、日蓮の精神における無上絶対の事実に他ならない。
その確信はまた、一切衆生を指導する教訓となり、預言をおのれの手にありとし国家政府すら小弱なる者とする権威となった“見よ見よ、確信を得てより、彼れの性格の偉大は、殆ど人界の規矩を超越しぬ。
彼れは是れにより天地人生の上に無限の威力を得ぬ。
真の意志と情熱と、共に天来の霊気によりて鼓吹せられぬ”。
これは、鎌倉時代の偉蹟のみならず日本歴史上の壮観であり、人類永遠の史上における一大事実として伝えられるべきものである」。
ここには、あまりに超人化しすぎた天才論の痕跡がいく分認められる。
しかし、釈尊の預言を体現した事実に基づいて日蓮聖人の人格・事跡を上行菩薩出現の証明とみなし、自らが上行菩薩であるとの宣言がその宗教的確信として表明されたと指摘した意義は大きい。
この点は、本書のモチーフが「預言を体言、証明した日蓮」の精神と生き方におかれていることからも明らかである。
「日蓮は仏説の預言を信じたが故に、法華経に預言される上行菩薩出現を確信し、おのれの信念として法華経を色読することによって、預言の現証をあます所なく示した。
『立正安国論』の大論策を提出した“大国家的預言”“法華経の預言”にして真ならば、若しくは大覚世尊にして妄語の仏に非ずむば、是の時、是の国、既に上行菩薩の出現を見ざるべからず」と自らにも問いかけた“一大疑問”、更に預言者として末法日本に出現した「一大醒覚」それらはいずれも預言に覚め、証明し、確信していった事蹟であった。
佐渡流罪における“一大醒覚”について、こう記す。
「鳴呼彼れは遂に目覚めたり。
永遠に目覚めたり。
二十年来の疑惑は、霧の如く散じたり。
法華経の預言は是の覚醒によりて、更に新しき生命を得ぬ。
東海の仏子日蓮の生涯は、俄に寂光宝土の光明に照されて、真に仏讖の現証となりぬ。
彼れが過去は久遠の過去となりぬ。
彼れの未来も久遠の未来となりぬ。
彼れが接触したる一切の衆生と国土と、凡べて彼れの一身に関連して、妙経預言の註脚となりぬ」。
これらの認識は、樗牛の日蓮聖人崇拝がたんなる崇拝ではなく、預言の信仰を明かし、何ものをも恐れない預言者として再生した日蓮聖人への鑽仰にあった点を物語っている。
それは樗牛が天地人生の上に有する至上の力を担った日蓮聖人の使命と情熱とを、自らの信念にしたいと願ったからである。
《石川教張『文学作品に表われた日蓮聖人』》