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日蒼(舜龍院)

にっそう #2944

日蒼(舜龍院)

にっそう

(一七七六-一八三七)
江戸八品講の開祖。舜龍院と号す。
安永五年兵庫豊岡生まれ。
一二歳で一致派立正寺日要について出家、枢憲と称す。
松崎檀林に学び、後に千葉中村檀林に講じ、三二歳の時、広島山田常国寺に住職す。
京妙伝寺日逮と摂折を争い批義したために寺を追われ、上京の途中神戸久遠寺日韓と法論し、八品門流に改衣し尼崎檀林にて学を学ぶ。
四〇歳で沼津八本光寺、山梨小立妙法寺に住職したが本尊論で追われ、富士北山本門寺重須談所に講じ押原正法寺に住職す。
本門寺、大石寺の正嫡を糺さんとして再び追われる。
江戸本所深川に弘道庵を構え、遂に還俗し在家仏教運動を展開し、本門八品講を結成して大和屋伝兵衛、川村周助、中村太仲、宇多川吉らを化す。
その下に集まる六〇余の社は関東一円から浪速の地に至り、数千名の員を擁して既成団をおびやかした。
折伏弘通に徹し八品派日隆の信心を重んじた。
文政年(一八一八-二九)妙満寺派品川本光寺一道日下種本因本果論を争い神力下種を主張し『当家籖訪記』を著す。
また同年一致派駿河屋七兵衛と致勝を麻布に問答し、天保二年(一八三一)伏見本教寺日宣と致勝を論じ、同六年大石寺派永瀬清十郎と柏原問答を争う等、法論を展開し講勢を伸張し、江戸末期の在家運動の大指導者となる。
保九年四月一六日寂、六三歳。
京都本能寺より上人号を贈られる。
六〇余の社中の宇田川吉の軍鷄のような激しい折伏をシヤモと称し怖れられたという。
日蒼の説く学は本門八品本因下種即身成仏論を骨子とした独創的な神力下種論であるが、多くの著述は弟子員等が格護して今日に伝えている。
上記の外に『顕立正義録』『弾邪開盲篇』『不受不施対論記』『本尊分蒙』『摧邪顕正論』『三難問答抄』『当家秘要録』『応需抄』『顕本種子論』『当家見聞宗秘録』『開基募縁誌』等がある。

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