妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

加行規則並びに順序

けぎょうきそくならびにじゅんじょ #871

加行規則並びに順序

けぎょうきそくならびにじゅんじょ

明治九年(一八七六)五月に伝道中山法華経寺から門下加行僧中に布された規程のことである。
本宗所定の加行所(一般には大荒行堂と称されている)に関して、開設期間、加行志願者、また加行満行の加行相伝者(修法師)について規定されている。
明治政府は神道教政策に失敗し、明治五年からを取入れて大院を設立した。
しかしこの大院も島地黙雷や新居日薩らの廃止運動にあって、結局明治八年五月には解散した。 この大院廃止に伴い、各宗とも独自の統轄制を歩むこととなった。
本宗においては宗制寺法宗制・学制を含む)が施行されることとなった。
この独自の統轄のための制建直しの波は、当然修法面にも及ぶものであった。
更にまた、これに遡(さかのぼ)って明治七年六月、政府は禁厭・祈祷を行う時に医薬を妨害するもののあることを鑑み、このようなことのないよう、神道諸宗管長に取締りを命じている。
そしてこれは修法師の綱紀粛正を促すものとなって、後に「三箇の法制」として成文化された規則となる。
加行規則並びに順序」も、このような状況の中で明治九年五月に制定される。
この規則制定に先立って、法華経寺住職河田日因から管長新居日薩に対し伺書が出され、同年五月一八日に承諾を得ている。
同規則は八ヵ条の本文と三ヵ条の追加条文より成っている。
その内容については、まず加行期限を毎年一一月一日から翌年二月一〇日までとし、次に加行志願者の手続、そして成満者の袈裟着用資格(学歴による)、成満後の法布修の許可手続、法布修の執行に当っての心得、義務等を規定している。 とりわけ「(略)為護法ノ念慮ナク却テ布教ノ患害ヲ醸シ信徒ヲ蠱惑セシムル等ノ者ハ門下ヲ除去ス(略)」(第八条)、また「行堂退去ノ後三十日ヲ限リ必ス剃髪スヘキ事」(追加第三条)等として、験者の資質・法の在り方を厳正に取締ろうとの姿勢が見える。
これ以降も代の流れに従って、加行所・修法に関する規程も逐次改められている。
明治一三年七月刑法第四二七条一二項において、祈祷等をもって人を惑わし利を得る者をするとされた。
これに対して同一七年二月、本宗祈祷修法教導取締中へ加行者の護法専念・法則確守を旨とする番外達が布された。
また日蓮宗法令も改められて「加行規則」・「修法取締規則」・「修法者規則」の三つに分けられている(明治三八年日蓮宗法令)。
そのうち「加行規則」は、加行志願者に関して、その入行資格と入行手続等が規程されている。
特に入行資格について法臈僧階・世寿を厳格にする条(第四条)は新しいものである。
「修法者規則」には、明治九年の規程中、加行相伝者についての条項が入れられている。
また「修法取締規則」は、願書受その他の修法務の監督について新たに設けられたものである。
こののちこれら三規則は、再び統合されて「修法師取締規則」(昭和一〇年日蓮宗法規宗則第二六号)となる。
加行志願者の資格が変り、入行手続は別に規程されている。
また修法師会を組織するなど、代と共に変遷している。
その後も改められ、昭和五二年(一九七七)四月一日改正施行の第十五号修法規程が現行され、ここでは各行においても入行資格が厳密に規程されている。
以上の如く代と共に修法布教の必要性が高くなり、加行者の増加と共に、加行規則も厳格に細部にまで規定されるに至っている。

リンク

← 事典トップ