妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

良源

りょうげん #4579

良源

りょうげん

(九一二-九八五) 慈慧大師、元三大師とも称す。
近江(滋賀県)浅井郡(現・長浜市)に生れ、俗姓を木津氏という。
一三歳の比叡山に登って理仙に師事、理仙死後一七歳にして尊意について受戒し、良源と号した。
以来、覚慧・喜慶・雲晴らから顕密を学んだ。
承平七年(九三七)興福寺の維摩会では二六歳にして南都の俊傑義昭を破折し、応和三年(九六三)の法華講会には法相宗東大寺の法蔵と論戦、屈伏せしめるなど論議に長じていた。
権律師に補せられ、喜慶座主の寂するにおよんで康保三年(九六六)五三歳で天台座主一八世となり、律師位に就く。
その後、元四年(九八一)大僧正に任ぜられた。
生涯に横川首楞厳院を再興し、右大臣藤原師輔の寄進を受けて横川に法華三昧堂を建立、師輔の子兼家の資助により慧心院を創建するなど横川谷の復興に努めた。
また承平五年と康保三年の二の大火で灰燼に帰した比叡山の諸堂宇を天台座主在職二〇年のに再建したことによって叡山中興の祖と仰がれる。
寛和元年七四歳にして寂す。
叡山学を密教より顕教へと引き戻したといわれ、弟子常に二〇〇余人を数え、中でも日本中古天台慧心流の祖源信、檀那流の祖覚運が出た。
後世、源信本覚門に立ち、観を伝え、覚運は始覚門に立ち、を伝えたという伝説がある。
また主著『極楽浄土九品往生義』を著して浄土教を説いたが、その念仏は仏十号を観ずる観念の念仏であった。
《『日本仏教人名辞典』「良源」の項》

← 事典トップ