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十号

じゅうごう #925

十号

じゅうごう

如来十号・十種通号ともいう。 の一〇種の称号を指す。
但し詳しくは如来を含めて一一種の称号があり、経論によって分類の仕方が異なる。
妙法蓮華経序品には「その時にあり。 日月燈明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号(なづ)く。 (略)初めのと後のとは皆同じく一字にして、日月燈明仏と名づけ、十号を具足したまえり」と記されている。 この一一種の称号のうち、最初の如来を除いたものを十号とする説、世間解と無上士を合する説、無上士と調御丈夫を合する説、仏と世尊とを合する説などがある。

(1)如来(tathāgata)多陀阿伽度・怛薩阿竭と音写され、如来または如去と義訳される。
tathāは如、真如・真を意味する。 gataはgam(行く、去る、に達する)の過去分詞である。 この梵語をtathā-gataとみれば如去、ち「真如に到達せる者、真の体現者」の意である。
またā-gataはāgam(来る)の過去分詞である。 そこでtathā-āgataとみれば如来、即ち「真如より来れる者、真如より現れ出た者」の意である。
これを要するに如来とは、真如より来って、真理の体現者として衆生を教え導く者、即ち仏陀のことである。

(2)応供(arhat)阿羅訶・阿羅漢と音写し、羅漢とも略称される。 「供養に応じ得る者、供養を受けるに値する者」の意で、人格を完成し世の尊敬を受け供養を受ける資格のある者、即ち仏陀をいう。
なお阿羅漢には応供のほか、殺賊・不生の二義があり、合せて阿羅漢の三義という。 殺賊はari-han(ari賊、han殺)とみる解釈で「煩悩の賊を殺した者」の意である。 不生は永久に悟りに入り再び迷界に生を受けないという意味である。
阿羅漢は本来、仏陀の異名であったが、後に仏陀と区別され、小乗における最高の悟りを得た者を指すようになった。

(3)正遍知(samyak-saṃbuddha)三藐三仏陀と音写し、正等覚とも義訳される。 「正しく悟った者、正しい悟りを得た者」の意である。

(4)明行足(vidyācaraṇa-saṃpanna)は「明(vidyā)ち知と行(caraṇa)とを円満具足した者」の意で、知と行とを完全に兼ね具えた仏陀を目指す。

(5)逝(sugata)は修伽陀と音写され「善く逝きし者、善く悟りに到達した者」の意で、迷界をよく超えて悟りの彼岸に到達し、再び迷界に還らない者、即ち仏陀を指す。

(6)世解(loka-vid)は「世を知れる者、世をよく解している者」の意で、世間の人々の格や能力をよく知悉して導き救済する仏陀を指す。

(7)無上士(anuttara)は「上(uttara)なき者、この上なき者」の意で、この上ない最高の者、仏陀を指す。

(8)調御丈夫(puruṣa-damya-sārathi)は「調御せられるべき丈夫の御者」の意で、丈夫ち人々を調教し馴らして化導する御者、即ち仏陀を指す。

(9)人師(śāstā devānāṃ manuṣyāṇāṃ)は「ち神々と人間との師」の意で、天上界の神々と人間界の人々を教え導く教師、仏陀を指す。

(10)仏陀(buddha)の略称である。 仏陀は音写で、義訳は覚者である。 buddhaはbudh(目覚める、悟る)という動詞の過去分詞の名詞化した語で「目覚めた者、悟った者」を意味する。

(11)世尊(bhagavat)婆伽婆、薄伽梵と音写し「福徳をもてる者」の意で、福徳を具えて世の人々から尊敬され、世間で最も尊い者、即ち仏陀を指す。

遺文辞典』歴史篇「十号」の項、『広説仏教語大辞典』「十號」の項、『岩波仏教辞典』「十号」の項、『正蔵』九巻三頁c-四頁a、ケルン・南條文雄『校訂梵文法華経』一七-一八頁、水野弘元『要語の基礎知識』》

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