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繰返顕本

くりかえしけんぽん #4483

繰返顕本

くりかえしけんぽん

八品派の祖、慶林坊日隆(一三八五-一四六四)の顕本義が、五百塵点劫の繰返しにあることから、このように称したもの。
日隆は当中古天台で主張する法身為正の無作理顕本に対し、報身為正に事成顕本を強調した。
この自然法爾の無作理顕本義は、中古天台のみならず、本迹未分の根本法華に立つ室町期一致派教学の顕本論の中心をなしたのである。
そして理顕本義の場合、寿量品の説相として、五百塵点劫によせて久遠実成の三身仏が開顕されるものを能顕とし、所顕は文底の十界常住、無作三身にあると解釈して、文底観心を重視する。 この無作三身とは理即の凡夫を指し、文上の久遠本仏よりも勝れているという、いわゆる凡夫実をいう。
このように教相を軽視して、本迹未分の観心を中心に置くことによって、五百塵点劫は単なる仮説という結論に達する。 この塵点仮説に対し日隆は五百塵点実説を主張し、実修実証の事成顕本を取るのである。
日隆はこの仮説に対し、厳しい批判を加え『私新抄』には「能生ノ久遠仮説ナラバ所生ノ迹中ノ諸経妄語ナルベシ、次ニ一切衆生ノ成仏モ又仮説ナルべシ、三世十方ノ衆生成仏ノ下種ハ久遠五百塵点劫ノ当初ニコレ有リ、久遠ノ種子仮説ナラバ得脱ノ益モ虚言ナルべシ」(宗全八巻一九三頁)と述べている。
この仮説に対する日隆の五百塵点実説の内容は、同じく『私新抄』に「今経ノ本門寿量品ノ五百塵点ハ斉限有ルニ似テ三世本有本来常住ノ五百塵点五百塵点ト断絶無ク顕本シ玉フコト無量無辺ニシテ斉限無シ。 斉限無キ無量無辺ノ五百塵点ヲツカネテ一ケノ五百塵点ト経ニハ説ケリ、(略)今経ノ本門五百塵点ト云ニ始有リト計ニ偏ニ意得テハ経旨ヲ得ズ謗者ニ同ゼリ、チリチリ常住サクサク常住ト云フガ如シ、今経ノ報身ノ本因妙ノ始モ、イツモ始メイツモ始ニシテ断絶無キハ本因妙ノ始也」(宗全八巻一八七-八頁)というのである。
ち五百塵点の実数には、本因の初めがあって、しかも五百塵点には際限があるというように考えられるが、それは無限常住の流れの中の一つの周期的な始終であって、際限はなく、つねに始めは終りであり、その終りは始めであると見なす。
つまり日隆は無始無終の無限常住を説明せんがために、五百塵点の際限なき繰返しを説くものである。 これを繰返し顕本という。
その常住は、あたかも自然界の花が散りまた花が咲くように、森羅万象には永遠なる相続常住の真があるようなものだと見る。
しかし日隆のこの顕本義は塵点実説に立脚するために、五百塵点の周期的な時間に制約されているのであって、久遠本仏の自性常住・不断常住の面が明瞭にされなかったと批判されることになる。

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