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観心論

かんじんろん #4745

観心論

かんじんろん

(一)観心とは教相に対する語で、教理の内容や構成をいう教相に対して、その教説の奥の真意を観じて肝要を極めるのを観法といい、極めた教の本義を自己が実践体験し、自己の心の本性を明らかに観照することを観心という。
教相が客観的であるのに対し、観心とは主観的なもので、天台宗では一心三観を中心教義とし、自己の一念上に三諦を観ずることをその修行法としている。
従って台法華を継承して展開した日蓮宗においても、特に重要な義の中枢に位置するものといえるのである。
日蓮聖人自身が、「当身の大事」という書に『観心本尊抄』と観心の名を冠しているように、観心論が種々に展開されてきた。
しかし「観心論」と呼ばれる有名な歴史的事件は、中国の趙宋時代の天台宗で起った山家・山外論争の内容である。
一〇世紀の末から一一世紀、中天台宗では宗義解釈に二派の対立が生じ、両者激しく論争して、天台宗を二分してしまった。
その所見の異なりの根本は、台・妙楽の思想の中にある華厳的色彩の画をどのように解釈するかの問題であった。
台一一祖清竦の門下に義寂と志因の二哲があり、両者の宗義解釈の異りが発端となって両法系が対立し、義寂の門から四明知礼(九六〇-一〇二二)が出て自ら正統を任じて山家と名のり、志因の門下を異端として山外とよんだ。
四明以後も論争は続けられたのだが、その両者の論争が一口に観心論とよばれるもので、つまり「観心」の「心」をどうみるかが中心の論題であったのである。
台の観法の対象たる自己の一念を、妄心-迷いの心(山家四明派)とするか、真心-悟りの心(山外派)とするかの「観心」の解釈の相違である。
山家は凡夫が自己の陰妄(おんもう)の一念を観じてその煩悩心に三諦が円融相即していることを究めるのが天台の本義であるとし、自己の一念がすでに仏の清浄心であるならば止観の必要なしとして、山外派の説は華厳の影響を受けたものとして否定する。
山家山外の論争は日本にも持ち込まれた。
近世初頭、日蓮宗は不受派と受派との両派に分かれたなかで、この天台の観心論が論義のまとになっている。
受派の頭領心性日遠(一五七二-一六四二)は『色心不二門義』で山外派の仁岳・従義を擁護して「妄ノ真」を主張した。
これに対して不受派の関東学者はこぞって反論し、池上日樹や中山日賢が四明正統説を強調して山外、日遠を排斥するのである。
この論争は日蓮宗が天台の正統論を争うという、近世日蓮宗の天台学心酔の弊の端緒ともいえるものであるが、その後の日蓮宗学の展開には大きな意味をもっている。
日蓮宗観心論はその後、観如日透・一妙日導・優陀那日輝の諸師によって詳細かつ体系的に考究され、宗学復興の原動力となったのだが、果して日蓮聖人の観心論を正しく展開しているかどうかは検討の余地がある。
(二)天台大師述、一巻。
また「煎乳論」ともいう。 三六問を発して観心を中心とする四種三昧を勧む。
聖人は『八宗違目鈔』(定五三〇頁)等に『弘決』五の文を引き、この書にも一念三千の言及がないことを指摘さる。
註釈に章安の『観心論疏』五巻(『正蔵』四六巻)等がある。
望月歓厚「本宗先師の見たる山家山外」『大崎学報』二一・二三・二五号》

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