維新後の檀家制度
維新後の檀家制度
いしんごのだんかせいど
檀家の檀は梵語dāna(檀那)の略、布施をする在家者。
檀家が一定した寺院へ布施する風習が定着した制度。
江戸期幕府の宗門改めと一家族全員の身元保証を受けもつ寺請制度とに基づいてできたのが旧檀家制度。維新政府は明治四年(一八七一)四月寺請制度を廃して戸籍法を公布、各個人は苗字(姓)を名乗り、僧侶は従来得度以後字(あざな)(通称は所化名)・日号・院号などを使っていたが、戸籍法の実施によって僧俗共に国に直結された。
また寺院に対して明治五年、政府は寺所属の仏器什物を記帳し檀家総代・法類等の捺印を指令し、同九年もし寺の財産を抵当にする時は檀家二名以上の連署を義務づけ、寺そのものについては同一七年一宗派に一管長を置き、これに宗派内寺院住職の任免、教師の等級進退等のことを委任して自治を認めた。
昭和一四年(一九三九)宗教団体法公布で宗団を法人とし檀徒信徒と称し、法人主管者(住職)の扶助者として責任役員を置き事務遂行の場合同意権者とした。
同二〇年宗教法人令公布ではもし寺の財産処分、担保とする時は総代の同意をえることを要するとし。
同二六年現行法の宗教法人法では三人以上の責任役員を置きこの中から代表役員を選び、代表役員は法人を代表し事務を総理し責任役員は事務を決定しその決議権は平等であるとした。
法の上で寺が宗教法人とされ、全檀徒の総代である責任役員は寺院事務の決議権者となった。
また寺院は都道府県知事の許可を得れば墓地納骨堂(火葬場については略する)を経営できる。
「墓地及埋葬取締規則」ができたのは明治一七年で「葬儀は、寺堂若くは家屋構内又は墓地若くは火葬場に於て行うべし」の一条がある。
この条について「葬儀を執行するを得るものは独り神官僧侶に止まらず(略)以後葬儀を依托するは一一喪主の信仰する所に任せて不可なかるべし(略)葬儀を執行する場所の如きは(略)実地適当の警察を施すべし」「明治十七年十月内務卿口達」と。
昭和二三年墓地、納骨堂等の管理や埋葬等が宗教感情や公衆衛生その他公共の福祉から見て支障なく行われることを目的として法律が公布、それには葬について埋葬・火葬・改葬とを定義し、墓について墳葬・墓地・納骨堂とを規定し、埋葬、焼骨の埋蔵は墓地以外の区域に行ってはならないこと。
埋・火・改葬は市町村長の許可を要し、市町村長が許可を与える時は許可証書を交付すること。
墓地納骨堂の経営者は知事の許可を要し管理者を置いてこれを市町村長に届出、墓地納骨堂等の図面帳簿等を備付ける、許可証書は五ヵ年間保存すること等。
違背者には罰則の定めもある。
以上の法律並びに口達によれば葬儀を行うのは喪主の信仰任せで、僧俗誰でもよい、葬場も仏堂に限らぬこととなった。
そこで檀徒信徒その他一般人で必要な場合に墓地納骨堂の借用を、経営する寺院に申し入れた時はその寺院と単に貸借上のつながりを持つだけである。
政府をして寺院の財産保護を思わせたのは寺院そのものの公共性を認めたからであるから檀徒全員の総代を寺院に介入させた。
また寺を法人とすると同時に従来の総代に相当する責任役員を設け、それを寺の事務に関し代表役員(住職)の単に扶助者で同意権者であったのを、車務運営の決議機関にまで格上げしたのはそれだけ寺院保護を有力強化したわけである。
また寺院経営の墓地・納骨堂等の使用・借用を新しく申し入れる者は親身につながる遺体や遺骨を依託するのだからその聖霊(日蓮宗では聖霊)への追善あるいは本尊への供養といった深刻悲痛な宗教心情から、その聖霊を中心につなぎむすばれた寺檀関係が定者し、この新来の檀徒もまた寺院の両彼岸・花祭り・お梵(ぼん)・お会式など年中行事法要を通じて次第に在来の檀徒衆の内へとけこんでゆき、遂には全一の檀徒団となってそのまま制度化してゆくのが一般の現状。
以上が維新後の檀家(徒)制度である。
《梅田義彦『改訂増補日本宗教制度史近代篇』、小松邦彰・花野充道『日蓮教団の成立と展開』(春秋社『シリーズ日蓮』三)》