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性具説

しょうぐせつ #2165

性具説

しょうぐせつ

華厳学の起に対し、天台宗では具を説く。 ち華厳教学においては、一理隨縁して差別の法となり、隨縁せざればち差別なしと説き、天台の円教においては、真如の理性に本来迷悟の諸法を具足していると述べて、これを理具の三千と名づけている。
台教学に、真如隨縁・不変の考え方を初めて導入したのは六祖湛然(七一一-七二八)であり、この考え方が導入されることによって、学は大きく変化した。 湛然真如不変隨縁を説くところは、その著述の諸処に散見されるが、それをもっとも具体的に説き示したのは『金剛錍論』である。 湛然は『金剛錍論』において、心仏衆生三無差別を解釈するのに、変と造と具を説き、これをもって四教を解釈しているが、源清(-九九六-)はこれを解釈して「具」を「同」に置き換ることをした。 このことは台学系の流れをくむ源清が「具」を無視したことにもなるが、源清は実は華厳学系の宗密(七八〇-八三九)の影響を多分にうけており、宗密は華厳の澄観(七三八-八三九)のえを受け、この両者共にきわめて実践的な華厳学を説いたといわれる。 この両者がかかる華厳を説いたのは、禅の影響によるものとされているが、宗密は荷沢禅の基盤に立って、霊知不昧の一心に基づき禅一致を唱え『起信論』の衆生心や、如来蔵一心と同じものである円覚妙心を説く『円覚経』などを注している。 源清は、その著『十不二門示珠指』に「一念清浄霊知」とか「自心清浄知体妙円覚」とかのことばを出しているが、これは直接、華厳の影響を受けたことによると思われる。 そして源清は、この清浄霊知心を真如隨縁の真如の体として考えたのである。 この意味においては明らかに起思想を学に台頭せしめたことになろう。 源清が湛然の教学をかくの如く『起信論』の真如隨縁義に基づいて解釈しようとしたのは、ただ湛然の教学に真如隨縁が説かれていたからということだけでなく、その背後に強い影響力があったからである。
この源清の立場に反論を加えたのが後世、山家派と呼ばれた四明知礼(九六〇-一〇二八)である。 知礼は「隨縁」の用語を重視し、その著『十不二門指要鈔』には数多くこの「隨縁」の語を出してくる。 そのうちに「造謂体用とは、上の変と造とは、すなわち体を全くして用を起すことを指すなり、故に前の心具の色心によって隨縁して修中の色心を変造するなり。 乃ち中の三千を以って体と為し、修起の三千を用となすなり。 すなわち、体を全くして、用を起すなり。 方にこれ円教の隨縁の義なり。 故に輔行に云く。 心造に二種あり、一にはに約す。 造はちこれ具なり。 二にはに約す、すなわち、に約して乃ち三世の凡聖を変造することを明す。 すなわち結していわく。 皆理具によって、方に用あるなり」と説いている段がある。 先に述べたごとく源清は具を同に置き換ることをしたが、知礼はここに性中の三千が隨縁して、修起の三千の用を起すとき、湛然の『輔行』の文を引いて、理具によって事用あることを示し、性具に立脚する円教隨縁義を主張している。
このように、源清と知礼とは極めて対照的に性起と性具の立場を表明しているように考えられるが、両者共に台の学者であって、源清といえども決して華厳学系ではない。 そこで何故このようなことになったのかを再び思考するとき、その原因は、あくまでも湛然真如不変隨縁の考え方を学に導入したことに始まると思われる。 いくら源清であっても、この考えが湛然になければ、一理隨縁を主張することはなかったであろうし、決して起的な思考を説くことはなかったであろう。 そこで湛然が何故この考え方を導入したかを考えねばならない。
周知の如く湛然智顗教学の忠実な解釈家として知られ、智顗と湛然の間には何らの思想的変化は認められないとするのが従来の解釈であったが、実は智顗説かれていない真如隨縁不変説を智顗教学の解釈に利用していることの一から考えてみても、そこに当然の変化が認められなくてはならないであろう。 さて湛然がこの思考を導入したのは、結論的にいえば、智顗教学に表れた三諦によってものの存在を規定して行こうとした、いわゆる三諦縁起ともいうべきものに、論的な行き詰まりがあったからだといえる。 当一方には理論的に勝れた華厳の理論が隆盛を極めていたが、湛然は自己の天台教学をこれに比肩せしめるために、智顗三諦縁起を合的に解釈し、それを華厳の論に対比せしめる必要に迫られた。 ここに華厳学においても重視せられた『起信論』の考えを導入することになったものと思われる。 けれど真如隨縁不変の考えと、三諦縁起とでは、いずれにしても異質であり、前者に重きをおけば、どうしても源清の解釈の如くせねばすっきりせず、逆に後者に重きをおけば、天台の伝統は維持出来るように考えられるが、いずれにしても異質なものの合一であるから、その論自体、複雑化してしまう弊害はまぬがれないことになってしまう。
《安藤俊雄『台性具思想論』、日比宣正『唐代台学研究』、『遺文辞典』教学篇「性具」の項、『岩波仏教辞典』「性具説」の項

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