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報中論三

ほうちゅうろんさん #1249

報中論三

ほうちゅうろんさん

法身報身・応身の三身中、報身を表として身を論ずること。
天台大師智顗は『法華文句』九下の「釈寿量品」において「如来秘密神通之力」の文を釈し、寿量品の仏は三身即一身、一身即三身の円の三身如来であることを明らかにした。 つまり三身相即の仏身が寿量品に開顕されたと見るのが智顗身観である。 そして、この寿量品では通じて三身を明かすけれども「若し別意に従えば正しく報身に在り」と、三身の中では報身を正意と見なした。
日蓮聖人においては「報中論三」という用語は見られない。
俊範の作と伝えられる『一帖抄』(恵心流内証相承法門集)には、円教三身を論ずる段にこの語が見える。 本書によれば三身は爾前・迹門・本門によって解釈が異なると示し、本門では十界みな仏であって、これを無作三身と名づけるという。 そしてこの無作三身の顕本中、いずれを正意とするのかという問いに対し「法中論三」は住非迹非本の顕本、「報中論三」は住本顕本、「応中論三」は住迹顕本であると論ずる。 ここに「法中論三」「報中論三」「応中論三」の成句が見られるのである。
つまり、本門に開顕された久遠本仏無作三身と規定し、その三身の正意を論ずるときに、これらの語が使用されたと見ることができよう。 そして、法身理顕本を正意と見る場合には「法中論三」ということで、他の二は裏に置かれることになる。
日蓮宗教学史上、八品派の慶林坊日隆(一三八五-一四六四)は『私新抄』(『完全』八巻一四二頁)に、円宗の本尊は三身中何れを正意とすべきかという問いに対し、三身具足報身であると決断し、次のように述べている。 「法身ハ非因非果。応身ハ無常ノ仏ナル故ニ、末代当時ノ本未有善ノ機修因感果長嘉証得ノ本尊ニ非ズ。仍テ報中論三ノ無作三身ヲ以テ当宗ノ本尊トスベキ者也」と、報中論三無作三身が当宗の本尊というのである。 つまり報身をおもてとする無作三身本尊ということである。
同意を『開迹顕本宗要集』部第四でも述べている。 ち「発迹顕本の三身と法体法爾の三千との不同の事」と題し、天台宗の意は法体法爾の如来内証秘密の「報中論三」の無作三身で、これは理成顕本に属し、住本顕本・根本法華の重である。 これに対し日隆は「疏の九に若従別意正在報身と云って、報中論三無作三身を以て本門の正意と為す」(一三〇頁)と述べている。
つまり慶林日隆はこの報中論三無作三身を正意としたのである。
学史の中で大別すれば一致派教学では報中論三三身論が正意をしめ、妙満寺派では応中論三の三身が主流となっている。

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