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俊範

しゅんぱん #618

俊範

しゅんぱん

仮名は弁公、房号は無動寺南勝房、大和荘法、坂本法とも称する。 日本天台宗僧侶
寿永元年(一一八二)に生れ、弘長二年(一二六二)に入寂との説がある。
椙生の嫡弟大納言法範源の弟子で、椙生流の「三代の明師」「五人の学匠」と称されるなかの第一人者。 南都に遊学し法相等の六宗を学び、椙生嫡流の付法を受け、更に範源より慧心椙生流の秘法を相伝された。 山門探題となり(「探題次第」)、大和荘に晋んだ(「無動寺記録」)。 大和荘は近江東坂本にあるところから、大和荘法、または坂本法と称された。 後嵯峨帝に「台七箇法要」を相承し、正元元年(一二五九)、勅を奉じて山門において三十を行った。
日蓮聖人の叡山における師とする説がある(山川智応『日蓮聖人研究』・浅井要麟『日蓮聖人学の研究』)。 これは『日大直兼問答記』の「大聖人俊範より天台の法門は御相伝也」の文によるが、近年の研究では俊範義の一聴者であったろうと推測されている。(高木豊『日蓮―その行動と思想―』)
日蓮聖人の遺文中には『念仏者追放宣状』と『浄土九品之』(「俊鑁法」と記されている)にその名が見られる。 前書には「大和の荘の法俊範・宝地房の法印宗源・同坊の永尊竪者(後に僧者という、並に題者)等源空門徒を対治せんが為に各各其文広本に在り。 又諸宗明徳の面面書を作りて選択集を破し専修を対治す。 書籍世に伝ふ」とある。 嘉禄年(一二二五-二七)に、俊範法然門徒を破したとする所伝は他に見られないようである。
浄土九品之事』には證義者の項に「俊鑁法印」の名がみられ、「大和の荘」「三塔の総学頭」「椙生」の注が付されている。 三塔の総学頭は叡山の要職であり、俊範が山門第一の碩学の位置を占めていたことが推測され、日蓮聖人が叡山へ遊学されたと伝える仁治年間(一二四〇-四三)には、三塔学頭の地位にあり、修学の人々に慧心流の法義をじていたものと思われる。
山川智応『日蓮聖人研究』、『遺文辞典』歴史篇「俊範・俊鑁」の項、『日蓮辞典』『日本仏教人名辞典』「俊範」の項

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