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八相成道

はっそうじょうどう #734

八相成道

はっそうじょうどう

釈迦八相・八相作・八相示現ともいう。
釈尊一代の経歴のうちで、釈尊衆生済度のため示現した八種の相をいう。
これを図絵にしたものも同様に呼ぶ。
絵像としては涅槃図の両脇や周囲にこれを描いたものなどがあり、身延山久遠寺、東京都瑞輪寺などに存する。

八相に関しては諸説あるが、普通には次の八相をいう。
(1)降兜率。
前生の釈尊兜率天から閻浮堤に白象に乗って降下する。
(2)胎(入胎)。
摩耶夫人の左脇から入って、胎内に宿る。
別説では次に住胎の項目がある。
(3)出胎。
四月八日に降誕する。
摩耶夫人の右脇から生れて七歩歩いて「下唯我独尊」と宣言する。
(4)出家
世の無常を観じて、王宮を離れて出家者となって修行の旅に出る。
(5)降
六年の苦行の後、菩提樹下で悟りを開こうとした時、が襲来し、あらゆる手段を尽くして邪をしたが、これを征服した。
(6)成道。
の軍を征服し、一二月八日に悟りを開いて覚者となった。
に三〇歳。
(7)転法論(初転法論)。
鹿野苑で五人の比丘に説法する。
以後五〇年にわたって衆生化されたが、種々の受難があり、その生涯は静穏とはいえなかった。
(8)入滅(涅槃)。
八〇歳でクシナーラの沙羅双樹の下で入滅する。
の入滅と共に、大地は震動し、鼓は鳴り、弟子たちは悲泣したという。
紀元前九四九年二月一五日のことである。
日蓮聖人は鎌倉時代の通念に従って『周書異記』の説により、周の昭王二四年(B・C一〇二九)四月八日を仏誕、周の穆王五二年(B・C九四九)二月一五日を仏滅としている。
八相は歴史上の釈尊の生涯に関することであるから、法・報・応三身のうちでは応身の化儀とされる。
《『遺文辞典』教学篇「八相成道」の項、『天台学辞典』「八相成道」の項、『岩波辞典』「八相」の項》

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