身土不二
身土不二
しんどふに
身とは正報にして能居の人、土とは依報にして所居の国土である。
故に之を依正不二ともいう。
六祖妙楽が『玄義釈籤』七上で立てた「十不二門」の第六に「依正不二門」があり、「己証の遮那(法身)の(身と寂光土と)一体不二なるは良とに無始の一念三千に由る。
三千の中の(衆)生(五)陰の二千を正と為し、国土の一千を依に属するを以て、依正既に一心に居す。
一心豈に能所を分たんや(略)但だ衆生は理に在り、果未だ弁ぜずと雖も、一切遮那の妙境に非ざるは莫と」等という。
千如是に衆生・五陰・国土の三世間を相乗したところに三千の法数が成立するのであるから、身土不二論は一念三千論に本来具有のものであるが、身土不二を特に強調したのは妙楽であって、『観心本尊抄』の第一能観段の末尾に引かれたことで有名な『弘決』五の「当知身土一念三千」の「身土一念三千」の語はそのことを示している。
また妙楽の『金剛錍論』には「一仏成道すれば法界は此の仏の依正に非ざるは無し」とあり『弘決』の「当に知るべし、身土の一念三千なり。
故に成道の時、此の本理に称うて一身一念、法界に徧ねし」の文と合せ考えるとき、能成の釈尊が成道して所成の法身を証したとき、法身とは周遍法界の理であるから、釈尊の一身一念は法界に周遍することになる。
この法界を常寂光土というのであるから、一仏成道を所成の身に約すれば法身、土に約すれば常寂光土とするにすぎないのであって、能居の法身と所居の寂光土は一法の二名である。
之を身土不二という。
『観心本尊抄』によると、日蓮聖人は一念三千に含まれるこの身土不二論によって、草木に発心修行成仏の面ありとし、だからこそ「木画の像(草木)を本尊に恃み奉ること」(定七〇三頁)に意義が出来てくると示される。
また第一能観段で釈尊の因行果徳の自然譲与による妙法受持者の即身成仏を保証してのち、第二所観段に入って「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり」(定七一二頁)と成仏の身と不二なる国土を定め、これを本尊の法体とされる論法は、右の身土三千論に由来するものであるに違いない。
《『遺文辞典』教学篇「身土不二」「依正不二」の項》