見聞愚案記
見聞愚案記
けんもんぐあんき
身延二〇世一如院日重(一五四九-一六二三)の主要著書。
二四冊より成る。
慶長二〇年(一六一五)四月一八日から元和五年(一六一九)三月四日まで、日重六七歳から七一歳まで満四カ年にわたって執筆。
刊行は万治元年(一六五八)。
なお第二四巻は日重の弟子、寂照日乾(一五五四-一六三五)の『宗門綱格』と文章も全く同じというわけではないが、内容においては同じである。
そこで本書を刊行する際『宗門綱格』草稿が第二四巻として混入したという見方もある。
一如日重は寂照日乾・心性日遠と共に宗門中興の三師と称せられる。
教学的にも教団史の流れからしても、三光無師勝会の仏心日珖・常光日諦・山光日詮の系譜を継いだ。
江戸初期の教団の転換のなかで、日乾・日遠は身延・池上に晋山して関東日蓮教団を席巻し、他方、日遠は飯高檀林第三祖として招請されて以来、その学風が江戸時代の日蓮宗檀林の基本となり、かようにして日重門流は日蓮宗一致派の主流をなすようになり、日重らの教学が注目された。
近世教学の組織大成者、一妙日導の『祖書綱要』の冒頭には宗学研鑽の階梯を示すに際して本書が引用され、また優陀那日輝も高く評価している。
日重の著書には『妙軽重談鈔』八巻、『崑玉集』一〇巻等があるが、本書は日重晩年の書で、永年にわたる教義メモ(断章)を集成筆録したものである(一七巻二二丁)。
従って、その論述には、秀吉の千僧供養会出仕不出仕にまつわる不受不施事件以前のものと推察されるものもある。
第一巻から第二三巻まで、およそ八七六項目にわたるが、厳密には多少の出入があるが、ほぼ第一巻から第三巻までは日重の宗義理解の論述を主体とし、第四巻が字解的なもの、以下、天台三大部等の論述の検討となっている。
信長・秀吉・家康によって宗団の自律性が政治によって大きく抑圧されているなかにあって、日重の関心は日常的な信仰の内面的充実にあった。
不受不施派の仏性日奥が大方の僧侶・信徒の反対を押し切って秀吉らに国家諫暁、折伏を貫こうとしたのに対し、日重は如説修行を一般には不惜身命の折伏行として理解する面が強いが、他面、如説修行とは受持・読・誦・解説・書写という日常信仰的な修行でなければならないと述べている(一巻二丁)。
これを五種妙行論という。
これに関連する項目が比較的多く、それにふれて謗法観、時代観などが述べられているのが本書の特色といえよう。
なお本書には室町期学匠の教学の伝統が曳引し、また三光無師勝会のうち日珖よりの継承一六項目、日諦よりの継承三五項目が見られ、著書には伝わっていない部分について教示を受けるところが多い。
なお本書は版本の影印版上・下として昭和五四年に梅本正雄氏によって刊行されている。
《望月歓厚『日蓮宗学説史』、執行海秀『日蓮宗教学史』、渡辺宝陽『日蓮宗信行論の研究』》