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行満

ぎょうまん #4690

行満

ぎょうまん

(-八二三-)
最澄の入唐相承の天台宗師。
『伝法記』(『内証仏法相承血脈譜』所収)によると、蘇州(江蘇省蘇州市)の出身。
二〇歳で出家し、二五歳具足戒を受け、五年律を学び、大暦三年(七六八)浮槎寺にて湛然に師事して『摩訶止観』『法華玄義』を一返、『法華文句』を三返、『涅槃経疏』を二返聴した。
その後佛隴寺に帰って寺主となり、二〇余年を経て延暦二三年(八〇四)最澄に伝法し『法華文句』『法華文句記』『法華玄義釈籤』『摩訶止観』『涅槃経疏』等八二巻、更に付法師信一紙、佛隴道場記一巻、湛然所持の短帙の法華経一部七巻等を与う(『叡山大師伝』『行満和上施与物疏』)。
行満が始めて最澄を見たとき物語った言葉は、日蓮聖人御遺文の『呵責謗法滅罪鈔』に「聖語朽ちずして今此人に遇へり、我披閲する所の法門、日本国の阿闍梨に授与する等云云」(定七八七頁)とあり、これは『叡山大師伝』によった語である。
著書に『六即定義』一、『涅槃疏私記』一二、『涅槃経音義』一、『天台宗大意』一等あり、「天台宗大意一巻五紙」とは『学天台宗法門大意』一巻のことで『立正観鈔』に引文がある。
寂年は不明。 『入唐求法巡礼行記』の開成四年(八三九)閏正月一九日の条下に禅林寺僧敬文の言として「満和尚は已に亡化して十六年を経たり」というから八二三年頃(最澄入寂の翌年)の遷化か。
本化別頭仏祖統紀』一〇、『宋高僧伝』二二、『六学僧伝』等所載の行満伝に宋の開宝年中(九六八-九七六)八〇余歳にして遷化というのは別人か。
最澄内証仏法相承血脈譜』、仁忠『叡山大師伝』、塩入亮忠『伝教大師、『遺文辞典』歴史篇「行満」の項

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