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義真

ぎしん #4493

義真

ぎしん

(一)(七八一-八三三)延暦寺初代座主、修禅和尚と私諡す。
相模の人、幼くして比叡山に登って最澄に師し、奈良に出て唐語を東大寺慈賢に学ぶ。
入唐に当り、最澄は上表して義真を訳語僧として同伴することを請い、勅許され、延暦二四年(八〇五)入唐。
弘仁一三年(八二二)六月最澄入滅に臨み、山中雑事を嘱され、最澄の初七日に大戒勅許の官符を受けて、翌年四月一乗止観院にて自ら戒和上となり、初めて円澄ら一四人に菩薩を授く。
長元年(八二四)六月台座主となり、天長三年近江の正税を賜うて戒壇院建立に着手し、翌年五月成る。
晩年修禅院を構えて引退し、翌年七月四日遷化。 寿五三歳。
その著『法華宗義集』一巻は、序によれば嵯峨皇の宗要徴問に応えて撰した長勅撰六宗本書の一つ。
大別して教観二門、細別して四教義・五味義・一乗義・十如是義・一二因縁義・二諦義・四種三昧義・三惑義よりなり、玄文止三大部および六祖湛然の三大部注釈中から要句を抜粋し整理した天台学要論であり、密教色を全く帯びない。
故に聖人は、義真台の正義を伝えた人とされる。
最澄内証仏法血脈譜』、『顕戒論縁起』、仁忠『叡山大師伝』、光定『伝述一心戒文』、『元亨釈書』二、『本朝高僧伝』五、『天台霞標』二ノ二、『遺文辞典』歴史篇「義真」の項(一)
(二)(八四一年頃)『本尊問答鈔』に見える。
唐青龍寺義操の付法。
八四一年円仁に胎蔵法、蘇悉地法を授く。
寂年不祥。 八五五年円珍は青龍寺で法全より受法しているから、当時義真は既に入寂していたのであろう。
《『入唐求法巡礼行記』三、『明匠寺略伝』、『入唐五家伝』、『遺文辞典』歴史篇「義真」の項(二)、『岩波仏教辞典』『日本仏教人名辞典』「義真」の項

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