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祖師像

そしぞう #4303

祖師像

そしぞう

日蓮聖人の彫塑像を宗門では普通祖師像と呼ぶ。
製作年代の明らかな最古の祖師像は東京池上本門寺の木像である。
大正一四年(一九二五)の調査により、胎内から聖人の御遺骨を収めた青銅の経筒が見出された。経筒には「弘安五年壬午十月十三日辰刻御遷化/大別当、大国阿闍梨、日朗/大施主散位、大仲臣宗仲/大施主清原氏女」の刻字がある。
また膝裏に正応元年(一二八八)六月八日の待従公日浄、蓮華阿闍梨日持の署名、花押がある。正応元年は日蓮聖人の七回忌の年に当り、このとき像の作られたことがわかる。
膝裏には更に康元元年(一三六一)一〇月一三日の日大、日厳両師の修銘、及び応永九年(一四〇二)の絵師静珍の墨書がみられる。
胎内の胸部、頸部にも日行、日持、日妙、日浄各師の墨書が残されている。
昭和三年(一九二八)宝となり、のちに文化財保護法の成立によって重要文化財に指定された。信仰的にも彫刻的にも、祖師像として最も重要なすぐれた像といえよう。
この本門寺像は右手に払子(聖人の母君の髪毛を植えたと伝える)を握り、左手は一巻の経巻を持つ。
特色は法衣のみで、袈裟を彫り表さぬことである。おそらく聖人の遺品である袈裟を着けたものであろう。
千葉県日本寺(『本化高祖年譜』による)、三島市妙法華寺(寺伝による)などの祖師像は、聖人生前の像と伝えられ、静岡県北山本門寺の像は『元祖化導記』によれば滅後まもなく日法が刻んだとされる。
ほかにも鎌倉妙本寺、静岡県本立寺、佐賀県光勝寺の像など古い伝承の祖師像はあるが、それらに直接の記録は未だ発見されていない。
本門寺像につぐ制作年代の明らかな祖師像として次の諸像が知られている(銘文による)。岡山市香雲寺・元亨元年(一三二一)、新潟県妙満寺・延文二年(一三五七)、倉敷市壽遠寺・貞治二年(一三六三)、兵庫県立光寺・元中三年(一三八六)、小田原市本光寺・応永一二年(一四〇五)、神奈川県上行寺・応永一三年(一四〇六)、鎌倉市実相寺・正長元年(一四二八)、宮津市妙照寺・宝徳三年(一四五一)、三浦市円徳寺・長禄元年(一四五七)、金沢市本興寺・文明四年(一四七二)、三次市十林寺・文明五年(一四七三)東京都身延山東京別院・明応六年(一四九七)、七尾市本延寺・永禄七年(一五六四)など。
祖師像寄木造玉眼の木像が多い。
とくに江戸代の像はほとんどが木像に胡粉を厚くぬって彩色した、いわゆる人形造りとなっている。像様は七条、法服、横被を着けた彫りが多い。
両手に経巻を広げて持つ読経形と、本門寺像のような説法形(本門寺像の右手は払子であるが中啓の場合が一般的、笏の例もある)の二形式があるが、説法形の像が多く、また例外はあろうが、その方が古式と思われる。
戸外の銅像は別として寺院内に安置する祖師像は必ず坐形であるが、まれに立像がある。
建長五年(一二五三)清澄寺境内旭森において海から昇る朝日に向って初めて唱題された立教開宗聖人を像ったもので「朝日の祖師」とよばれる。
《『日蓮聖人事蹟事典』(雄山閣)「日蓮聖人の木像」の項》

図版

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