法門可被申様之事(七〇)
法門可被申様之事(七〇)
ほうもんもうさるべきようのこと
一篇。
文永六年(一二六九)、聖人四八歳の時、鎌倉から京都留学中の三位房に与えられた書状。
真蹟三五紙中山法華経寺蔵(重要文化財)。
本書は『法門可申抄』(ほうもんかしんしよう)と略称され『法門可申様』(本尊聖教録)『相伝抄』(平賀本)『法門可談書』(祖書目次)『公家武家法門可申事』(刊本御書目録)等の異称がある。
本書は京都留学中の三位房がある高位の公卿の持仏堂で法門を説いたことを「身の面目」として報告し、念仏破折の法門の教示を仰いだ書簡に対して、聖人が三位房の修学態度を激しく教諭し、法華経と諸宗との法門異目を問答する場合の心得や注意を申し送った書状である。
内容は、まず三位房の念仏批判の質問に答えて、釈尊が一切衆生の慈父であり、法華経は一切経中の実語であることを明らかにし、この主師親三徳具足の釈尊と法華経に背いて、我ら衆生と無縁の阿弥陀仏や方便権教の浄土三部経に依る念仏は謗法であり堕獄の業であると教示し、当時の日本国は念仏の盛行によって不孝謗法の罪を犯し、種々の国難が起ると説いて、この説法に対して生ずるであろう質疑三ヵ条を挙げてその解答を委細に教示されている。
次に三位房の報告に対し、世俗の権威に屈した不甲斐ない態度や言語風俗の都会化したことを叱責し、質実剛健の生活態度を要求し、法華経の行者としての権威の自覚を確認させている。
更に当時の叡山仏教が念仏・禅・真言等の諸宗を導入し権実雑乱に陥り、法華の正法を失い隠した状況を指摘し批判して、かかる叡山仏教の祈祷に効験は無く得道の益も無いことを示し、すみやかに開祖伝教大師の法華中心の精神に復帰すべしと勧告せよ、と禅・念仏等を破折すべき論法を教授されている。
そして叡山仏教は念仏・禅の流行を黙認した謗法のために滅亡すると説き、叡山仏教の滅亡はやがて日本国の滅亡となることを示し、この亡国の危機を救う者はただ法華経の行者日蓮一人である、と立正安国の教旨が示されている。
本書は聖人門下の法華経の行者としての精神と態度、法門の説き方や折伏の姿勢などについて細かに教示した遺文として注目すべきものである。
《『遺文辞典』歴史篇「法門可被申様之事」の項、『日蓮辞典』「法門可被申様之事」の項》