第三法門
第三法門
だいさんほうもん
法華経本門の師弟の遠近不遠近の相をいう。
日蓮聖人は『富木入道殿御返事』に「法華経と爾前と引き向けて勝劣浅深を判ずるに、当分跨節の事三の様有り。日蓮が法門は第三の法門也。世間に粗夢の如く一二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了へず。所詮末法の今に譲り与へしなり」(定一五八九頁)と、自己の立場を表明されている。
右の文に「三様あり」とあるのは、天台大師智顗が『法華玄義』において法華経と爾前諸経との勝劣を明らかにするために立てた「三種教相」をさす。
即ち智顗は根性の融不融の相・化導の始終不始終の相・師弟の遠近不遠近の相の三つの観点から、法華経の一代仏教中における優位性を明らかにしたのである。
妙楽大師湛然が『法華玄義釈籤』に「前の両意は迹門に帰し、後の一意は本門に約す」と釈しているように、第一・第二は迹門から出で、第三は本門から出ている。
法華経本門の「涌出品」から「寿量品」に至る師(釈尊)弟(本化の弟子)の遠近が説かれているところから立てられた法門である。
聖人は法華経を弘通されるに当って、特に「日蓮が法門は第三の法門」と表明され、本門の師弟の遠近不遠近の相に立って、独自の法門を建立され宣説されたのである。
その独自の法門とは、聖人の法華経色読の宗教体験と本門法華経に立脚した歴史認識に基づいて表白された「五義判」である。
なおこの「第三の法門」の解釈に異説があり、あるいは爾前・迹門・本門の三重の中の第三本門といい、あるいは題目をさす、ともいうが、教相の所談であるから三種教相の第三本門師弟遠近不遠近の相とするのが正しい。
また富士派教学においては第一を権実相対、第二を本迹相対、第三を種脱相対とするが、これは同派の五重相対の解釈と同じく、法華経と日蓮聖人遺文とを誤解した所説である。
《『遺文辞典』教学篇「第三の法門」の項》