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立正観抄(一五八)

りっしょうかんしょう #4385

立正観抄(一五八)

りっしょうかんしょう

一篇。
文永十一年(一二七四)日蓮聖人五三歳の時、身延から最蓮房に与えられた著述。
本書の真蹟は伝わらないが、身延第三世日進が正中二年(一三二五)と元徳二年(一三三〇)に書写した自筆本が身延山に存する。
本書には「法華止観同異決」「与最蓮房書」の異称があるが、前者は聖人の御自題で、後者は対告衆に因んで後人の付したものである。
本書は佐渡配流中の聖人に帰依した最蓮房が京都に帰り、当時叡山天台宗に流行していた「止観は法華に勝る」という法門について、これを報じ示を仰いだのに対し、叡山学の邪義を評破したものである。
内容は当の日本台の学徒が、教外別伝を宗旨とする禅宗の教義に影響されて、観心の修行を重視し法華経を軽んじ、法華経よりも本迹未分の境地を明かした『摩訶止観』の方が勝れていると、主張するに至った。
このような観心を偏重し教相を無視する無教偏観主義は高祖台・伝の本旨に反するものであると、その誤解と邪見を打破している。
そして智顗の創唱した一心三観の実践論は、法華経迹門の教理に立脚した妙法を証得するための修行の方法であると、法華経が止観に勝れていることを論じている。
更に一心三観は迹化が像法に弘通する行法であり、本化が末法に弘通する本門の妙法五字より劣るものであると、師の資格(付嘱)・時期等の諸点から論証し、末法応時の妙法五字の正観を示している。
また『立正観抄送状』(定八七〇頁)には、止観は天台の立場に与同していえば法華迹門の分斉に似ているが、奪って論評すれば別教の領域であると、止観勝法華思想を破折している。
なおこの止観勝法華思想は夙に叡山に流行していて聖人知悉のものであったことは『十章鈔』(定四八九頁)によって知られる。
聖人は当時叡山留学中の三位房に同書を送って止観講読上の注意を教示し、叡山の邪説を批判して「この文を止観よみあげさせ給て後、ふみの座の人にひろめてわたらせ給べし」と命じている。
本書の成立に関し、止観勝法華思想は尊海(一二五六-一三三二)の創唱であるとの理由から本書を疑偽する説もあるが、それが聖人当時既に叡山学に存したことは『十章抄』によって証されるから、この点から本書を疑問視するは妥当でない。
真偽についての検考がなお必要な遺文である。
《『遺文辞典』歴史篇「立正観抄」の項》

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