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種種御振舞御書(一七六)

しゅじゅおふるまいごしょ #4355

種種御振舞御書(一七六)

しゅじゅおふるまいごしょ


一篇。日蓮聖人著。真蹟身延曽存。建治元年(一二七六、あるいは建治二年)の述作とされる。本書は文永五年(一二六八)正月の蒙古国書の到来と、その九年前の『立正安国論』に予言した他国侵逼難の的中から筆を起し、その後の諸宗批判ならびに幕府に対する言動の激化から、諸宗高僧の讒言、次いで幕府の弾圧による竜口法難、佐渡流罪の経緯、次いで身延隠棲、懺悔の内省生活に至る経過を、前文は雄渾、躍動する文章で、最末は叙情的な文体をもって叙述した自叙伝的著述である。
本書は古来、(一)種種御振舞御書(録内二三巻)、(二)佐渡御勘気抄(同一四巻)、(三)阿弥陀堂法印祈雨事(同二三巻)、(四)光日尼御書(同二○巻)の四篇に分散して伝承されていた。中山日祐の「本尊聖教録」、身延日朝の「霊宝目録」、身延日意の「大聖人御筆目録」等、いずれも個別的な記載となっている。しかるに身延日遠・日奠の時代に至って、(一)種種御振舞御書と(二)佐渡御勘気抄とを上下一篇の述作とする考えが出され、貞享三年(一六八六)に編年目録である「御書新目録」を編集した中山本行院日奥も、両書を併せて一書とした。次いで明和七年(一七七○)録内・録外にわたる編年目録「境妙庵御書目録」を編集した玉沢日通は、先の両書に(三)阿弥陀堂法印祈雨事、(四)光日房御書を加えて四書一篇説を主張した。そして『高祖遺文録』三○巻を編纂し、明治一三年(一八八○)に刊行した小川泰堂は「彼此互に改置して、両篇ともに文義貫通して余蘊あるなし。惟ふに録内編目の日一書三分するの疎漏を見れば、此の文の錯置せるま亦其のにあるか。日明老師も早く此を言へり。今日の改正、千載の遺憾を艾除するものか非か」として、四書の文脈を考えて体系づけ、現行のごとき一篇とした。
なお(一)(二)(三)の三書がいずれも身延久遠寺に所蔵されていたことは、日乾が慶長八年(一六○三)一○月一五日に記した「身延山久遠寺御霊宝記録」にみえるところである。そしてこれが上古より存していたことは、中山日祐の「本尊聖教録」の御書の部に、身延と親交のあった日祐のに三書共に筆者して新しく加えられていることによって知られる。
また本書の真偽、ならびに四書を一篇とするに文体の変化から不一致とする考えもあるが、いずれも断片的であり、論的な考証をもって本書を偽書とする説は呈示されていない。《『日蓮聖人御遺文講義』一○巻、山川智応『日蓮聖人研究』二巻、浅井要麟『日蓮聖人教学の研究』、鈴木一成『日蓮聖人遺文の文献学的研究』、『遺文辞典』歴史篇「種種御振舞御書」の項、『日蓮辞典』「種種御振舞御書」の項》

【補記】「日遠目録」には第一函に「種種御振舞御書一巻」、第二函に「佐渡御勘気書一巻」の記述があるが、「佐度御勘気書」には傍線が引かれて「一ノ箱ニ入也」と注記され、第二函の最末に「佐渡御勘気抄一巻」が書き足され「種々種御振舞抄ノ下巻也」と注記されている。続く日奠目録では、両書が並べて記載されている。これは両書を上下二巻の一書とみなして、移し替えが行われたことを示している。この二書合体の措置は、現行の『種種御振舞御書』成立の契機をなすもの。日通の『境妙庵目録』に至って四書合体がなされるが、この処置は後続の日諦・日明・日騰の各目録に継承されている。『種種御振舞御書』をもとに日蓮聖人の行動と思想を論じた書に茂田井教亨『日蓮の人間観』、山中講一郎『日蓮自伝考』等がある。また成立と真偽についての最近の論考に、川﨑弘志「『種種御振舞御書』に関する一考察」(『法華仏教研究』二三号)、花野充道「『種種御振舞御書』の真偽をめぐる諸問題」(同二八号)がある。

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