境妙庵御書目録
境妙庵御書目録
きょうみょうあんごしょもくろく
境持院日通(一七〇一-七六)編。
本目録の後記に「鎌倉境妙庵隠士」とあるところから、従来この編者を、玉沢妙法華寺二五世で、晩年鎌倉に隠れてその居を境妙庵と号した境妙院日宗(一六四四-一七二八)としてきた。
しかし浅井要麟は、後に「明和七年(一七七〇)庚寅十月十三日」とあることから、日宗では目録作製がその没後になるとして、日宗の弟子で玉沢三三世に就任した境持院日通を擬した。
それは後記最末に、編者自ら「具問答論載之而已」とあり、その「問答論」とはほかならぬ日通の『御書問答証議抄』あるいは『祖書証議論』を指し、『祖書綱要刪略』にも「通師問答論第三云」などとあることに拠ったのである。
日通は明和六年(一七六九)鎌倉境妙庵に隠退している。
現在、本目録編者が日通たることは間違いないこととされている。
日通はその凡例で、すべて年次順に配列すること、宗旨建立以前の書・重複書・偽書・抜書等を除くこと、六老僧編の録内にも右の除去を適用すること、年月不明のものは一処に集めること、真蹟のある乱雑の書(断片を指すか)は更に糺明すべきこと、録内・録外・他受用御書等現行のものを集めたこと、書名の不適当なものは祖師の自題以外は改めること、などを示し、建長康元の頃(一二四九-五六)とする『主師親御書』を最初に置き、以下、弘安五年(一二八二)一〇月七日の『波木井抄』までを編年して「已上三百六十四通」とした。
しかし収めるところは、三七二編を数える。
また後記では疑わしきものもあるがこれを収めたといい、『戒体即身成仏義』『戒法門抄』は建長三年(一二五一)富木氏らに遣わしたものであり、同年書写の『九字秘釈』と共に一共のもので、開宗以前の書であるから除き、そのほか日頂・日善の書やそのほかの偽書も除いたが、それについては『問答論』に載せたといっている。
これによれば、いうまでもなく、「問答論」=『祖書証議論』述作は本目録編集(明和七年=一七七〇)以前となるばかりでなく、目録編集の意図は同書述作のころにはすでに胚胎していたといえよう。
本目録はこれに先立つ日奥の『御書新目録』にみられる遺文の編年を継承していると同時に、添加の分もあるが、日奥がそれを録内に限ったのに対して、日通は録内・録外の枠組を取払って編年したのであって、のちの遺文編年の基礎となったものである。
正本立正大学図書館蔵。
『昭和定本日蓮聖人遺文』第三巻所収。
《浅井要麟「祖書編纂の史的概観」(同『日蓮聖人教学の研究』)、鈴木一成『日蓮聖人遺文の文献学的研究』、『遺文辞典』歴史篇「境妙庵御書目録」の項》