御書新目録
御書新目録
ごしょしんもくろく
中山本行院一四世日奥編。
最初の録内遺文の編年目録。
録内四〇巻に収録されている一四八篇の遺文の配列順序は、何に基づいたものであるか全く不明である。
近世に入ると、こうした配列に対して編年目録を編纂する動きが現れた。
「御書新目録」はその最初のものである。
日奥は、ある人が御書目録に中山と富士の二種があるというが、中山の日常の目録を見るに流布の目録(録内御書目録を指すか)と違うことを指摘し、かつ六老僧の録内編集を疑い、それが新しく目録を編集する理由だとして、その凡例に年号月日をもって前後とすることを第一に定め、以下、年号あるも幾年となきはその年号の末に入れる、無年号有月日・有年号無月日は文章を見て入れる、その他を定め、録内収録一四八篇のうち五篇を除き、中山法華経寺に真蹟を蔵する遺文一三篇を添加して一五六篇とし、これらを編年して、貞享三年(一六八六)「御書新目録」を作製した。
しかし文化一〇年(一八一三)書写の同目録によれば、一六九篇の書名が掲げられている。
それによれば、書名・年月日・異称等を挙げ、かつ系年について注記しているものもある。
本目録の正本の所在は不明だが、享保一六年(一七三一)身延山久遠寺日裕は江戸滞在中この写本を入手したらしく、帰途、甲斐鏡仲条長遠寺日妙に示した。
日妙はこれを写し、かつ(1)竜口書・星下書・祈雨書の三篇がもと一篇であるのに後人が誤って分けたが、日奥の目録もこの誤りを踏襲していること、(2)日奥が見たという中山日常の目録とは、中山法宣院に伝える日高のものではないかということ、の二点を追記した。
のちこれを尾張丹羽郡(現一宮市)一乗山妙法寺一六世日明が伝え、文化一〇年同国萱津妙勝寺林通明がこれを写している。
『昭和定本日蓮聖人潰文』第三巻所収。