皇道仏教行道会
皇道仏教行道会
こうどうぶっきょうぎょうどうかい
昭和一三年(一九三八)四月、高佐貫長(日煌)が首導どなり、副首導増田宣輪(日遠)それに西川景文、坂井智見らが加わって結成された。
その説くところは「皇道仏教とは法華経の妙理をもって日本国体の尊厳なる所以をあきらかにし、大乗仏教の真精神を発揚して天業を翼賛し奉る宗教であります。
これを高祖日蓮大聖人は王仏冥合の三大秘法と称して後世に発達完成することを遺嘱されました。
即ち皇道仏教とは王仏冥合の三大秘法を現代のことばに要約した名称であります。
(略)故に皇道仏教の御本尊は印度応現の釈迦牟尼仏ではなくて万世一系の天皇陛下で在らせられます」(『皇道仏教行道会の宗義』)というにあった。
要するに「天皇が本尊」で、その本尊に帰命し、君臣が一体となる姿が日本国体における大曼荼羅の容態だというのであり「法主国従」を否定し「国主法従」の立場にたつ。
こうした皇道仏教行道会の主張に対し、四大本山(本圀守、妙顕寺、本門寺、法華経寺)の貫首が連名で、(1)皇道仏教行道会は宗門公的の団体にあらざることを各新聞に声明すること(2)高佐の主唱する宗義は不穏と思料せらるるをもって同人の宗内公職全部を罷免すること(3)高佐の主唱する宗義上の諸説について厳重なる検討を加え、宗旨に反し信仰を惑乱するおそれある時は相当処分すること、などの要求を宗務当局に要請する一幕もあった。
その動きが昭和一四年の「宗義擁護連盟」の結成へと発展し、翌年同連盟は「高佐貫長ノ唱導スル教義ハ本宗ノ宗義ニ違反セルモノト認ム、依ッテ宗務当局ハコレヲ処理スべシ」との決議文を塩出宗務総監に手交している。
このことから一時的に宗政上の混乱を招きはしたが、昭和一七年には皇道仏教行道会は早くも解散の余儀なきにいたっている。
また逆に高佐らが昭和一五年九月、立正大学学長の清水龍山を「不敬罪」て警視庁に告訴するなどの動きもあった。
だがその影響力は大きくひろがらなかった。戦後、同会は皇道主義から大きく姿勢を変え「十字仏教」や「九識霊断説」を提唱している。
《中濃教篤「皇道仏教行道会と日蓮宗団」『戦時下の仏教』、伊藤瑞叡「生死―現実そのもの―髙佐貫長」『生死観と仏教』、渋澤光紀「髙佐日煌の教学」『日蓮宗東京西部教化センター教化情報』一二号」》