寺院法度
寺院法度
じいんはっと
江戸幕府が各宗派の寺院教団統制のために下付した法規のこと。
寺院法度は、慶長六年(一六〇一)五月二一日の高野山行人、学侶の分離に関する法度をその始めとし、慶長年間(一五九六-一六一五)には、法相宗、天台宗、真言宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗の六派に出され、数は四六通を数える。
この内でも、天台宗、真言宗に対するものが多く、うち三四通を占める。
真言宗、天台宗に対して特に配慮されているのは、畿内における全国統一政権がその発展途上において、中世的領主権力をもつ高野山・比叡山の勢力にしばしば苦汁を飲まされたことによるものと考えられている。
これに対して、日蓮宗、浄土真宗、時宗の各宗については法度が見当らない。
なぜこの宗派に限つてのみ制定されなかったのであろうか。
即ち、この時期に寺院法度を布達した目的は、全国の寺院を政治的、経済的にも規制して、中世以来寺院がもっていた不入の特権を剥奪し、僧侶を俗世間から遊離し教学に専念させることである。
いわゆる王法(幕藩権力)が仏法(寺院)を支配するということである。
とはいえ、徳川政権は成長の過程で一向宗に苦汁を飲まされているし、また日蓮宗は不受不施の問題や強義折伏の姿勢に種々の問題が多く、共に民衆に強情なほどの信仰基盤をもち、へたに統制を加えれば反発が激しかったことによるものであろう。
いわゆる手がつけにくい状態にあった。
次に寺院法度の作成手続についてみれば、起草の中心人物は金地院崇伝であり、手続の上ではそれぞれの各宗各派本山より草案を提出させ、これに修正を加える形をとっている。
とりわけ各宗本山の意向が強く反映されている点は注目すべきことであり、このため末寺側の権限は制限を加えられるようになっている。
内容で各宗派に共通する点は本末制度の確立、教学研究の奨励、僧侶の生活規制、僧侶資格取得の条件などがあげられるのである。
かくして江戸幕府の意図を十分に盛り込み、寺院側の干渉なしに各宗派に適用される内容の寺院法度が布達されるのは寛文五年(一六六五)七月一一日のことで「定」九ヵ条、「条々」五ヵ条である。
「定」の内容は(1)各宗の法式を乱してはならない、(2)一宗の法式を知らない僧侶は住職として認めない、(3)本寺末寺の制度をかたく守らなければならない、(4)寺檀関係は檀家の意志によって決めること、(5)徒党を結び闘争してはならない、(6)国法に背く者を寺内に留めてはならない、(7)寺院仏閣の修復は質素にし華美にしてはならない、(8)寺領の売買、質入を禁止する、(9)出家の認可は領主、代官の許可を得ること等である。
「条々」の内容は(1)葬儀は質素にすること、(2)檀家の建立した寺院の住職の任命権は檀家にあること、(3)金銀をもって住職権を売買してはならないこと、(4)民間の家を借りて仏壇をおき布教活動をしてはならないこと、(5)女人は寺内においてはならないことなどである。
「条々」の内容は家康の時代にない法度の特色である。
これ以降の各宗各派の共通の内容をもつ寺院法度は貞享四年(一六八七)一〇月に「諸寺院条目」一二ヵ条、享保七年(一七二二)七月の「諸宗僧侶法度」八ヵ条が布達され、僧侶に対する取締りの規制が強化されている。
また民衆支配の末端機能としても利用されている。
《圭室文雄『江戸幕府の宗教統制』、豊田武『日本宗教制度史研究』、辻善之助『日本仏教史』近世扁、宮崎英修『不受不施派の源流と展開』》