妙覚寺法式
妙覚寺法式
みょうかくじほっしき
室町時代の応永二〇年(一四一三)六月一三日、妙覚寺日成が定め、妙華院日遵、大聖院日延が連署して出された法度。
九ヵ条から成り、妙覚寺門徒一同に不受不施義を厳守するように命じたもので、応永の新条目ともいう。
とくに社参物詣、謗法供養の禁止について詳しく説き、当時ややもすれば寛容の精神から、開会の立場で他宗の堂社への参詣を許していた摂受主義を批判したものとして大きな特色がある。
第一条は「謗法の堂社においては、参詣いたすべからざる事 但し物見遊覧公役等を除く」とあり、他宗謗法の堂社への参詣を禁じている。
しかし但書きには、物見遊山や主人の命によるものは、宗義に関しないので差支えないと、除外例を設けている。
第二条には「謗法の僧侶等においては、供養を成すべからざる事但し世間の仁義愛礼等を除く」として、他宗謗法の僧侶への供養を禁じているが、ここでも但書きに、世間の義理人情や礼儀交際上のことを除くと、除外例を設けて、不施の義を定めている。
第三条は「たとい誘引の方便たりといえども、ただちに謗法供養を受くべからざる事」として、たとえ誘引の方便であっても、直接に謗法の者の供養を受けてはならないと、不受の義を明らかにしている。
第四条は「檀越として社参物詣をいたし謗法供養を成す輩は、堅くこれを呵責せしむべし。もし再三に及べば、なおこれを信用せず、大小を簡ばず、親疎を選ばず、これを捨つべき事」と、第一条の制戒を破る者に対しての処置を説いている。
即ち檀越として社参物詣をして、謗法の社寺へ供養をしてはならないとし、もしこれが三度に及んで、なお聞き入れなければ、たとえ有力な信徒であっても、破門するときびしく戒めている。
第五条は「たといその夫、信者たりといえども、その妻、受持せざれば、三ヵ年の間はその小師間断なく教戒を加うべし。なおもって信順の義なくば、夫婦ともこれを捨つべし」と、たとえ夫婦の間であっても夫が信者でその妻が信者でない場合、三年の猶余期間の間に教戒を加えてもなお信順しなければ、夫婦ともに破門すると強く述べている。
第六条には「僧俗ともに不信謗法の振舞いあるときは、これを見聞しながら寺家へ披露をいたさざる者は、与同罪とすべき事」と、僧侶も在家もともに謗法の振舞いがあったとき、これを見聞しながら知らせなかった者は、門下の統制を乱すので、与同罪としてきびしく罰するとしている。
第七条は「当寺の法式において、もし不審の儀あらば、いく度たりといえども存分に伸じ、決断を遂げ、捨邪帰正を用せしめ、その趣に随ってこれを弘通すべし。もしその已前に己情新義を構える輩は、仏法の重科とすべき事」と、もしこの法式に不審があれば、いく度でも存分に審議して、はっきりさせ、帰正させ、もし異議を構える者があれば、重科に処すと、私義・新義の発生をとどめ、法式を遵守することを定めている。
第八条は「檀那、謗法の業を治定の後、その小師をしてこれを捨てし時は、自余の僧衆はそのもとへ出入すべからざる事 但し自余の所用等は除く」と、檀那が謗法の所業を治定した後であっても、その者の教化責任者が破門した場合には、他の僧衆はそのもとへ出入してはいけないと誡めている。
第九条では「謗法の擲銭においては、衆僧一同にこれを捨つべき事」と、謗法の者の擲銭を受けてはならないとしている。
この法式は、初めは同志の結合と、後から入信した門徒を対象に、合せて門下全体を規制しようとしたものであったが、やがて範囲が広がってくると、公家や武家の有力者も入門してくるに従って、その指導教化のため、「第五条については、公家や武家の家庭は除外する」と、例外を規定した追加条目が出されている。