妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

唱観一致

しょうかんいっち #1086

唱観一致

しょうかんいっち

唱とは妙法五字を唱えることであり、観とは観心ということで、本尊を信仰して妙法五字三業受持することである。
法華経を受持する仕方に広・略・要があるが、妙法五字は要中の要である。 妙法五字といっても理法・教法・要法・行法・証法と各方面から考えられるが、唱観一致というのは主として行法の方面からいっているものである。
観心修行といっても、各宗各異であって、それがその宗の特色ともなっている。 例えば台で観心とは、己が心の本性を明らかに観照し一念心の上に有空中三諦を観ずることである。 『観心本尊抄』の序分の中に出てくる「観心とは我が己心を観じて十法界を見る」という定義は日蓮宗の観心ではなく天台家観心である。
観心本尊鈔』の序分は天台の理の一念三千を述べたものであるが、正宗分に至って日蓮聖人の事の一念三千が明かされている。 ち「釈尊因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。 我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまう」(定七一一頁)と説いてあるのが日蓮宗観心のあり方である。 妙法五字は『四信五品鈔』に「妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意(こころ)のみ」(定一二九八頁)と説かれ、また『守護国家論』には「法華経は釈迦牟尼なり」と説かれている。
日蓮宗の観心は本尊を信じて妙法五字を身・口・意の三業に受持することが要件であるが、信じて持続しなければ達せず、持して信じなければ成じないので唱即観即信心ともいわれていて、三業の中には意業の信念成仏を決定する根本になっている。
本壽日悦(一六五一-一七二六)は『見聞取捨抄』の中で「又信心の一念に住し壽量の題名を口唱する、是れ則ち当家の観心なり」といっているし、蓮華院日題(一六三三-一七一四)は『中正論』の中において唱観一致を説き、題目に三学具足するが故に観行をも具足するので、観心を別修するの要なく唱題成仏であると論じている。

← 事典トップ