元品の無明を切る大利剣
元品の無明を切る大利剣
がんぽんのむみょうをきるだいりけん
如来秘密(=法華経―真体)神通之力(=釈尊―力用)=南無妙法蓮華経を「元品の無明」(一切の煩悩、悪業の根本原因)を断ち切る事の出来る大利剣と譬喩をもって表現した語句。
『諸経與法華経難易事』に「生死の長夜を照す大燈、元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか」(定一七五一頁)とある。
天台の『摩訶止観』には「身上に痛むことあるところにしたがって杖をもって痛く病處を打つこと四五十にいたると。
これまたなんの意ぞそれの諸の病は心の作にあらざることなし心に憂愁の思慮あらば邪気入ることを得。
いま痛をもってこれに偪(せま)ればすなわち横想に暇あらず邪気去り病除かるるなり」と杖をもって加持することを述べている。
天台は、加持杖をもって心を痛む処に止まらしめ、その根本を治すといい、日蓮聖人は、煩悩無明を切断し除去する故に利剣といわれた。
即ち杖には事を、剣には理をもって、断破の義になぞらえるのである。
故に事杖と理剣ともいえる。
即ち聖人は信心をもって利剣とされたのである。
『御義口伝』第一信解品の事には「一念三千も信の一字より起こり、三世の諸仏の成道も信の一字より起る也。
此信の字元品の無明を切る所の利剣也。
其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣也」(定二六二七頁)と記され、『瑞相御書』には「法華経は元品の無明をやぶるゆえに大動あり」(定八七五頁)と述べられている。
また『四条金吾殿御返事』には「法華経はよきつるぎ(剣)なれども、つかう人によりて物をきり候(略)菩薩は四十一品の無明を断じて十四夜の月の如し」(定一六〇一頁)とあり、『祈祷鈔』では「諸の大地微塵の如くなる諸菩薩は等覚の位までせめて、元品の無明計りもちて侍るが、釈迦如来に値ひ奉て元品の大石をわらんと思ふに、(略)霊山八年が間に唯一仏乗名為果分と説き顕し給しかば、諸の菩薩皆妙覚の位に上りて、釈迦如来と悟り等しく(略)長夜に日輪の出でたらんが如く」(定六七五~六頁)と述べられている。