付法蔵経
付法蔵経
ふほうぞうきょう
六巻。
元魏の延興二年(四七二)吉迦夜・曇曜共訳。
仏入滅後印度で相伝した大迦葉等二四人の付法の因縁を記したもの。
『正蔵』五〇巻収。
付法蔵因縁経、付法蔵伝、付法伝ともいう。
(巻一)迦葉、(巻二)阿難、(巻三・四)商那和修、(巻五)憂波毱多・提多迦・弥遮迦・仏陀難提・仏陀密多・脇尊者・富那奢・馬鳴・比羅・龍樹、(巻六)迦那提婆・羅睺羅・僧伽難提・僧伽耶舎・鳩摩羅駄・闍夜多・婆修盤陀・摩奴羅・鶴勒那・師子尊者と付法されたが、師子は罽賓国の弥羅掘王の破仏に遭い斬首され、これをもって付法は絶えたとし、終りに善知識の功徳を嘆じ、白象が法を聞いて慈心を起し、優婆塞が分別して髑髏を買うことを述べている。
各巻の構成を一見して判るように西天二十三祖を述べるに際し、巻一・巻二にそれぞれ一名、巻三・四で一名、即ち前半三分の二を費して三名、巻五に一〇名、巻六に一〇名を記しているのは、本経が一貫して叙述されたものでないことを示すもので、詳細にこれを観ると迦葉以下提多迦に至る五人の紀伝は主として『阿育王経』の章句を抜書きしたもので、また馬鳴・龍樹・迦那提婆の記述は羅什の『馬鳴菩薩伝』・『龍樹菩薩伝』・『提婆菩薩伝』から援用された一部改編の小記述であり、これが梵本から訳出されたものでなく曇曜らが新たに編纂した偽撰であることは歴然としている。
但しこの経は古来盛んに使用せられ、宋の志盤撰『仏祖統紀』巻第五には全文が襲用され、特に天台及び禅家ではこれをもって付法相承の規準とし、智顗の『摩訶止観』第一上には付法蔵二十四祖の説を取り、これは巻二阿難に旁出している摩田地の伝を加算している。
また禅家では道原の『景徳伝燈録』第一より第三に渉り、この経の文を襲用し、弥沙迦のつぎに婆須密を加え、師子の下に婆舎斯多、不如密多、般若多羅、菩提達磨を加えて、これを禅門付法西天二十八祖としている。
御遺文では右のうち迦葉・阿難の正法五百年中における小乗経の流布、および師子尊者の法難の話がよく述べられる。
《『国一』和漢選述部「護教部」四上「付法蔵因縁伝解題」、『遺文辞典』歴史篇「付法蔵伝(ふほうぞうでん)」の項、『大蔵経全解説大事典』「二〇五八・付法蔵因縁伝」の項、『広説仏教語大辞典』「付法藏・附法藏」の項、『仏書解説大辞典』「付法蔵因縁伝」の項》