師子尊者
師子尊者
ししそんじゃ
梵語Siṃhaの音写で、インド仏教における第二四祖の伝灯継承者。
『付法蔵経』(『正蔵』五〇巻三二一頁)では二三祖に列しているが、『摩訶止観』に「始め迦葉より終り師子まで二十三人なり。
末田地と商那は同時なり。
之を取らば則ち二十四人なり」(『天全』一巻五六頁)と、第二祖阿難の後、第三祖相承は末田地(までんたい)と商那和修(しようなわしゆ)に同時に授けられたため、相承者は二四人と言われている如く、一般に二四祖としている。
因みに日蓮聖人もこれに順じている(定五九三・八九八頁)。
『付法蔵経』(『正蔵』五〇巻三二一頁)及び『五燈会元』(ごとうえげん)(『続蔵』二乙ノ一一ノ一ノ一一)によれば、師子尊者は釈尊の滅後一二〇〇年頃、中インドに生れ、第二三祖鶴勒那(かくろくな)に法を受け、罽賓国(けいひんこく)に教化をする。
ところが、外道の嫉みに謀られ、その時の国王弥羅掘(みらくつ)(檀弥羅王)は仏法を迫害し、師子尊者の首を斬り殺した。
その時、国王の右臂も地に堕ちて七日後に死んでしまった。
これを忌んだ太子は後に師子尊者のために塔を建てたという。
ところで、日蓮聖人はこの話を遺文の処々に引用されている(定三七四・一一〇〇頁)ところから見ても分るように、二点で師子尊者を見ている。
一つは仏教史上において、正法時代の正しい伝灯相承者としていること、二つは死身弘法を志した師子尊者を自らの苦難の前例の一つに擬していること、である。
《『遺文辞典』歴史篇「師子尊者」の項、『岩波仏教辞典』「師子尊者」の項》