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千部会

せんぶえ #962

千部会

せんぶえ

祈願、追善報恩などのために、一〇〇〇部の経典を読誦する法会のこと。
読誦する経典は宗派によって『法華経』、『浄土三部経』(あるいは単に『阿弥陀経』のみ)、『薬師経』など様々であるが、法華千部会が代表的なものである。
『続日本紀』によると、わがでは「天平二〇年(七四八)七月、聖式天皇が先帝元正天皇の崩御に際し、法華経千部を書写して供養した」というのがはじまりで巳来、平安、鎌倉と時代を経て次第にひろまり、特に法華経を正依の経典とする天台系の寺院で盛んに行われた。
日蓮宗で千部読誦会がつとめられた記録としては「日蓮聖人第一五〇遠忌の永享三年(一四三一)一〇月四日から一三日までの一〇日間、京都本国寺が諸末寺を登山せしめて修した」というのが、もっとも早いもののようである。
そして近世に至っては、京都本圀寺、身延山久遠寺、中山法華経寺、鎌倉妙本寺、池上本門寺などの各山に於て営まれるようになった。
なお、この頃になると、一個人が願主となって千部会を営むのでなく、大本寺などが主催者となり、多数の信者の寄進を受け、寄進者の現当二世所願満足を祈願する法会として営むことが多くなった。
そして、これが恒例化して、年中行となり「永代千部」と呼ばれるものになった。
中山法華経寺では貞享年中(一六八五年頃)第三八世興学日秀が永代千部会をはじめ、身延山では享保一八年(一七三三)に永代不易千部会を始めた。
池上本門寺の千部会創始については確実な資料が見当らないが、中山法華経寺とほぼ同年代のことと推測される。
また『堀之内妙法寺資料』によれば、当寺の千部会も明和四年(一七六七)頃には年中行事として定着し、江戸市中の各町内に千部講中がつくられ、それらの各講中が施主となって盛大な法会が営まれていたことがうかがわれる。
現在、千部会を年中行事として行っているのは、身延山久遠寺(五月三、四、五の三日間)、池上本門寺(四月二七、二八、二九の三日間)、堀之内妙法寺(八月二一、二二、二三の三日間)、小湊誕生寺(四月一六日)、京都妙顕寺(四月一四日)等の諸大寺であるが、実際に一部経を読誦しているのは、堀之内妙法寺のみで、他は要品転読などを行っているのが実情である。
なお、法華千部会とは法華経一部八巻二十八品を一〇〇〇部読誦することを意味するものであるから、一〇〇〇人の僧が各一部を読誦するか、一〇〇人で各一〇部を読誦するか、あるいは何年間かに亘って部数を重ねるかなど、その方法はいろいろであるが、実質的に一〇〇〇部よむことが本義であり、この発願を成就した時には山門脇などに「法華経読誦一千部」と表書きして、年月日、願主、施主などを刻んだ石碑を建てることがかなり古くから行われている。
しかし、現行の各山の千部会は、多勢の人が集まってより多くお経をよみ、お題目を唱える法要として行われている。
《庄司寿完編『堀之内妙法寺資料』、松野純孝編『仏教行とその思想』》

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