上総五十坐説法
上総五十坐説法
かずさごじゅうざせっぽう
天文一九年(一五五〇)に大本山池上本門寺の第一一世日現が、祖師堂復興をかねて妙法広布のため南総方面へ親教した。
会所は勝浦本行寺で、二〇〇余日にわたる大布教であった。
この先師の遺志を受継いだ本門寺第一二世口惺は天正一〇年(一五八二)春、この地に布教、再度本行寺において一日一坐で五〇日間の布教を行った。
これが上総五十坐説法の発祥である。
長い期間の説法坐であるところがら「長坐」ともいわれている。
江戸時代に入って、各寺でも盛んに「長坐」という名称で説法会を奉行した。
現在では浜七ヵ寺と称される寺(勝浦本行寺・新戸長慶寺・串浜恵日寺・守谷本寿寺・鵜原法蓮寺・松部妙潮寺・川津津慶寺)で輪番方式で奉行されている。
この五十坐は大阪の百部、金沢の干部と共に、日蓮宗布教の三大檜舞台などとたたえられた。
初めは歴代の池上本門寺貫首の親教であって、浜七ヵ寺を中心とした上総の同門信者のこの坐に連なっての報恩喜捨の浄財は本門寺護持の基金になったばかりでなく、献供された山海の産物は池上の大膳寮を賄ったといわれる。
その後は宗門知名の布教師を招いての説法坐となり、天保年間(一八三〇-四四)には三〇日と記録されている。
明治以来、二〇日、一五日となり、第二次世界大戦後は一〇日間もしくは七日間に短縮された。
法話は一日に前坐、中坐、後坐と三坐に分かれて三人の布教師によって行われる。
前坐、中坐によって参詣人所願の回向、諷誦文ふじゆもん回向が行れる。
後坐布教師は法話に合わせて『日蓮聖人一代記』を続講する。
高坐前では、花笠姿の老若男女による題目踊りが奉納されるなどして、にぎわった。
最終日は総供養で、天童稚児の音楽法要をもって、全期間の浄財喜捨の施主の現世安穏後生善処の祈願をなし、さらに所志霊位の追善供養の総回向をする。
江戸時代からの伝統的古風な優雅さと、上総地方特有のローカルカラーとが融和して、無形文化財的な格調を漂わせている類いまれな説法会である。