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折伏正義抄

しゃくぶくしょうぎしょう #2255

折伏正義抄

しゃくぶくしょうぎしょう

一巻。 久遠成院日親(一四〇七-八八)が永享一〇年(一四三八)に九州の僧俗に彼の所信を述べた書である。
日親は幼から中山で勉学、長じて中山門流の九州における重要な拠点、肥前国小城市松尾の光勝寺の導師職に選ばれた。 その地の信者たちの雑乱的信仰態度はもちろんのこと、地頭千葉胤鎭の謗法許容の行為も目にあまるものであったから、それを是正させるため、教導責任者である中山貫首日有をたびたび諫めた。 日有はこの諫言を無視したばかりでなく、永享九年(一四三七)七月、使者を光勝寺に送って、日親を門徒から擯出(破門)することを言い渡した。
日親の批判によると、中山門流は日暹、日有の代に至って他門流の謗施供養をうけたので、聖人以来の正系が断絶した。 しかも日有は雑乱勧請すら平然と行っているから、「貫首に似たりといえども先師の御遺跡に非ず」(『伝燈抄』)と酷評、自分は両貫首を除外して、その先師日薩から法脈を継承した正系であると主張する。
本書はこのにおける日親と日有の不和の由と経過を記したもので、日有の九種の謗法行為を指摘し、速やかに折伏正義に戻ることを強調している。
日親は破門されたのち京都町中に弘通所を設け、一向にひるまず足利幕府に対する国家諫暁と宗門の粛正運動を展開する。 このため数々の迫害と法難にあい、団側からも異端視されたが、のちに宗門をゆるがす大問題となった不受不施義の先駆をなす行動として、注目しなければならない。
もともと学者でない日親には、学問的研究はないが、本書のように、宗教運動としての実践的行動を記した著述が多い。 そのほとんどが、宗門における純信を保持するため、謗法行為を批判したもので、祖意に基づく不惜身命の折伏弘通の態度こそ、彼の布教上の根本念であったことを物語る。
『日親上人全集』第一巻に延宝八年版本を影で収録。『宗全』二〇所収。
《『本化別頭仏祖統紀』、宮崎英修『不受不施派の源流と展開』》

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