妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

御本尊鑑

ごほんぞんかがみ #2120

御本尊鑑

ごほんぞんかがみ

一巻。 遠沾院日亨(一六四六-一七二一)写。
正本身延山久遠寺蔵。
製作年、正徳二年(一七一二)。
宗祖本尊録」「本尊集」等の異称がある。
本書は身延山三三世日亨の日蓮聖人真筆大曼荼羅三四幅の臨写集である。
日亨は宝永元年(一七〇四)に京都満願寺より身延に晋山したが、以後諸堂の整備に尽力し、ことに霊宝を納めた東西両土蔵が地震の災害に遭うや、霊宝の永代格護のため宝蔵の移転改築を遂行し、霊宝の目録(亨師目録)を作製して聖教を保管した。 この身延山秘蔵の聖人の直筆大曼荼羅のうち由緒正しい二四幅を臨写したものと思われる。 更にこの後、中山法華経寺蔵のうち五幅、阿仏房妙宣寺蔵のうち三幅と保田妙本寺蔵一幅、他一幅の計三四幅を写して、文永・建治・弘安と年次を追って集録したものが本書である。
正本はもと伊豆長福寺添畑日満の所蔵であったが、玉沢五一世久保田日遙が譲り受け、明治四〇年(一九〇七)、新たに表装し直し身延山久遠寺へ奉納したものである(『御本尊鑑』箱書)。
片面一七枚計三四枚の折本で、表題「御本尊鑑」は表装に大書されたもので、執筆年は記載されていない。
本書には日亨の孫弟子日観が写した広本と称せられるものが堀之内妙法寺に所蔵されているが、それは「宗祖本尊録」と題され、正本とは枚数、配列等に大きな相違がある。 ただ『御本尊鑑』の製作年時はこの広本の記によったものである。
本書は門外不出とされた身延秘蔵の大曼荼羅の臨写の浄業であったが、明治八年の大火によって身延西土蔵が焼失し、聖人直筆の霊宝のほとんどを失ったいま、身延曽存の本尊の書式を知る唯一の貴重な資料であり、ことに佐渡始顕本尊の相状を拝するにはこれによる以外にない。 団にとっても宗学の面からも価値あるものである。
現在では聖人真蹟研究が進み、日亨の年次推定に対しては修正が計られている。 今本書集録の本尊名と、日亨と現在の年次推定を列挙すると、
第一、佐渡始顕大曼荼羅(3)。
二、同日三幅(6)。
三、同日三幅(4)。
四、同日三幅(5)。
五、保田妙本寺蔵(7)。
六、文永一一年一二月(8)。
七、文永一二年卯月日(11)。
八、胎蔵金剛大日勧請(12)。
九、建治元年一一月(13)。
一〇、中山一一枚紙(14)。
一一、建治元年一二月(15)。
一二、建治二年七月日(16)。
一三、建治二年横紙(18)。
一四、建治二年八月一二日(17)。
一五、建治二年九月(19)。
一六、弘安二年二月日(23)。
一七、弘安二年四月日(25)。
一八、弘安二年七月日(27)。
一九、弘安三年二月(28)。
二〇、弘安三年五月一八日(29)。
二一、弘安三年一〇月日(30)。
二二、弘安四年四月五日(31)。
二三、真題目(32)。
二四、泥筆青蓮華(20)。
二五、阿仏房妙宣寺蔵(2)。
二六、三紙(9)。
二七、女人成仏(1)。
二八、日頂上人授与(21)。
二九、文永一二年卯月八日(10)。
三〇、弘安元年八月一四日(22)。
三一、弘安二年四月八日(24)。
三二、弘安二年六月日(26)。
三三、半如意(33)。
三四、無記年(34)。
以上である(算用字は刊行された『御本尊鑑』の番号で影山堯雄師が日亨の配列を修正されたもの)。
なお、佐渡始顕本尊の日乾模写本が京都本満寺に蔵されていることが写真を収めて報告されている(『本満寺宝物目録』)。
身延山久遠寺発行『御本尊鑑』》

図版

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