佐渡始顕本尊
佐渡始顕本尊
さどしけんほんぞん
日蓮聖人が文永一〇年(一二七三)七月八日、佐渡一谷(いちのさわ)において初めて図顕した大曼荼羅本尊のこと。
それまでに二、三習作があるが、大曼荼羅として整えられたのはこれが最初である。
真蹟は明治八年の身延山大火で焼失してしまった。
ただし、身延山三三世遠沾日亨(一六四六-一七二一)の『宗祖御本尊集』(御本尊鑑)に臨写されており、その書式を知ることができる。
本尊脇書に「文永八年太才辛未九月十二日、御勘を蒙りて遠く佐渡の国に流さる。
同十年太才癸酉七月八日、之を図す。
此の法華経の大曼荼羅は仏滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内、未だ曽て之れ有らず。
日蓮始めて之を図し上る」とあり、『本尊抄』述作から三ヵ月ばかり後、本尊の儀相を始めて図顕して大曼荼羅として世に表されたことがわかる。
この御本尊の様式は諸仏諸尊皆悉く南無の二字を冠する総帰命式であり、讃文は上部に「此経則為閻浮提人――病即消滅不老不死」、下部に「如来現在猶多怨嫉況滅度後」等が書されている。
その形状は日亨が「絹地巾二尺六寸一分、長五尺八寸二分」と記録している。
この御本尊は佐渡始顕ということで大きな意義があるが、聖人はその後本尊の書式に手を加えられ、弘安年間(一二七八-八二)に至って整備治定されていて、文永期のこの本尊と再治後の本尊とでは書式に大きな変化がみられる。
なお、「佐渡始顕本尊」の形容を知る資料としては、遠沾院日亨の『御本尊鑑』以外にも、身延山二一世・京都本満寺八世日乾(一五六〇-一六三五)の模写本が『本満寺宝物目録』に収められている。
《『本満寺宝物目録』、『日蓮聖人事蹟事典』(雄山閣)「曼荼羅」の項》