姉崎正治【歴史】
姉崎正治【歴史】
あねさきまさはる
(一八七三-一九四九)\\宗教学者。
号は嘲風。
明治六年七月二五日京都市下京区に生まれる。
同二六年東京帝国大学哲学科に入学。
在学中、親友の高山樗牛らと『帝国文学』を編集創刊する。
同二九年同大学哲学科を卒業、更に大学院へ進み、比較宗教学会を組織し、『哲学雑誌』の編集に従事する。
同三一年東京帝国大学講師となり宗教学を講義する。
同三三年『宗教学概論』を刊行し、助教授となり、ドイツのキール大学、イギリス、インドへ三年間留学する。
同三五年論文「現身仏と法身仏」により文学博士の学位を受ける。
この年に高山樗牛の死にあう。
この頃、『復活の曙光』を著して、神仏と人間の両面性が融和することを説いて神秘主義を唱える。
同三七年『高山樗牛と日蓮上人』を著し、日蓮聖人の研究を始める。
同年東京帝国大学教授となり、翌三八年東京帝国大学文科大学に宗教学講座を創設し、初代主任教授となる。
同四〇年世界周遊旅行に赴き、外遊中、オックスフォードで第三回国際宗教学宗教史会議に出席する。
同四二年東京帝国大学文科大学内に宗教学会を設立する。
大正元年(一九一二)同大学に宗教学研究室が開設される。
同二年九月よりハーバード大学で二年間日本文明講座を担当し、「日本人の宗教並に道徳上の発達」・「日本宗教史」等を講義する。
この間、同五年にはハーバード大学から英文の『予言者日蓮』を出版。
また、シカゴ大学では「日本仏教」、エール大学では「日本美術」などを講演する。
同七年カリフォルニア大学で講義し、ドクター・オブ・ローズの称号を受ける。
同八年パリのコレージュ・ド・フランスで「日本宗教史」を講義し、ストラスブール大学からドクツール・オノレールの称号を受ける。
同一〇年八月カリフォルニア大学でも講義する。
同一一年フランス政府よりコマンドル・ド・レトアール・ノアール勲章を受ける。
同年『宗教研究』に「切支丹宗門改めの心理」を発表してより以後は、キリシタンの研究を相次いで発表する。
『切支丹宗門の迫害と潜伏』『切支丹禁制の終末』『切支丹伝道の興廃』等を著し、宗派を超えた科学批判的な宗教学の立場から、日本のキリシタン研究を開拓する。
同一二年東京帝国大学付属図書館長として関東大震災後の復興にあたり大いに貢献する。
同一五年宗教制度調査委員となり、帝国学士院幹事に当選。
昭和三年(一九二八)フランス政府よりレジオン・ド・ヌール勲章を受ける。
同五年日本宗教学会が設立され、会長に就任。
同八年八月シカゴでの世界宗教大会、カナダのバンフでの太平洋問題調査会議に出席する。
同九年退官して名誉教授となり、国際学芸協力委員会日本委員として活動する。
同一〇年一月、宮中の御講書始に洋書を進講。
同一一年七月ロンドンでの世界宗教大会に出席。
また、ハーバード大学で「東と西」を講演し、同大学よりドクター・オブ・レターズの称号を受ける。
同一三年六月ローマ東洋研究所で講演する。
同一四年貴族院議員に選ばれる。
文部省文芸委員会委員等を歴任。
晩年は主に聖徳太子の研究を勧めている。
著書としては、和英両文の『法華経の行者日蓮』『比較宗教学』『印度宗教史考』『宗教哲学』『根本仏教』『切支丹殉教史』『仏文日本宗教史』『新時代の宗教』『聖徳太子の大士理想』等多数があり、また、高山樗牛の『樗牛全集』の刊行にも従事している。
近代仏教学の先駆者として、また、日本のキリシタン史研究の開拓者として多くの功績を残している。
大正五年刊行『法華経の行者日蓮』は聖人伝の名著として今日までしきりに刊行され、聖人の真実相を世に伝播している。
姉崎は山川智応や高山樗牛を通じて日蓮聖人を知り、やがて日蓮聖人の教えと直接向かい合うようになった。明治期末には天晴会の講師として、「法華経に就いて」「阿含と法華」「高山樗牛と日蓮上人」など、数回にわたり講義を行っている。その傍ら、田中智学との交流も続け、立正安国会の講習会でも講義を行い、明治四十三年(一九一〇)からは日蓮宗大学(現・立正大学)で宗教学を講ずるようになった。
昭和二四年七月二三日寂、七七歳。墓は比企谷妙本寺に建つ。
《『国史大辞典』一巻「姉崎正治」の項、西山茂『近現代の法華運動と在家教団』(春秋社『シリーズ日蓮』四)》