妙本寺(神奈川県鎌倉市・比企谷)
妙本寺(神奈川県鎌倉市・比企谷)
みょうほんじ
日蓮宗由緒寺院。
鎌倉市大町に所在。
長興山と称す。
長栄山(池上)本門寺と両山一主制をとる。
この地はかつて日蓮聖人の信者のひとり、比企能本が住んでおり、比企谷(ひきがやつ)がと称していた。
後に日朗(一二四五-一三二〇)がその邸跡を譲り受けて一宇を創建し、長興山妙本寺と名付けた。
山号の長興は能本の父能員の法号であるという。
日朗はここを本拠として、聖人没後における鎌倉の僧侶や信者を指導し統率した。
また本門寺と合せ管し秀た弟子たちを輩出している。
この後、日輪・日山と次第し信者は鎌倉を中心に武蔵・上総(千葉県)などに広がりを見せた。
室町時代には関東管領から寺領を安堵されたのを始め、鎌倉の商工業者の帰依を受け、南関東における日蓮宗の指導的役割を果たしている。
妙本寺は鎌倉の市街にほど近い所にあったため、しばしば戦火に見舞われたが、このように幅広い信者層を背景にしていたので、よくその勢力を保つことが出来た。
天正一八年(一五九〇)に徳川家康が江戸城に移ると、その翌年に貫首の日惺は本門寺に移住した。
この時から歴代貫首は池上に住して、妙本寺と合わせ管するようになる。
寛永一〇年(一六三三)の「寺院本末帳」によれば、両山諸末寺は一六五カ寺にものぼり、その勢力のほどが窺われる、近代になると妙本寺は池上本門寺配下の本山として独立し、別に貫首が置かれるようになった。
ところで妙本寺については特に注目すべきことは、臨滅度時の御本尊を始め六幅(近時寺宝中の一幅が真筆と確認され七幅を蔵することとなった)にものぼる日蓮聖人御真筆の曼荼羅本尊を伝えていることである。
臨滅度時の御本尊は、日蓮聖人が入滅される時に掛けられたものと伝え、昭和四〇年三月に催された第一七宗会において、宗定の御本尊として指定されている。
寺の規模も大きく江戸時代には塔頭一六坊、院家二院があり、一貫五百文の朱印地を得ていた。
堂宇としては本堂と御影堂があり、本堂には立像の釈迦如来を、御影堂には室町時代に造立されたすぐれた日蓮聖人の木像(日法上人作の伝説がある)をそれぞれ安置している。
《『国史大辞典』一三巻「妙本寺(神奈川)」の項、『日蓮聖人事蹟事典』(雄山閣)「神奈川」の項》