奉献本尊(蒙古調伏本尊問題)
奉献本尊(蒙古調伏本尊問題)
ほうけんほんぞん
大正四年(一九一五)、大正天皇御即位記念の大典にあたり、宝祚の無窮と国家の福祉を祝祷し、日蓮宗から元図を紺紙金泥に拝写したものとして宮内省に献上した本尊(蒙古調伏護国本尊)のこと。
通称「御大典奉献本尊」と称されたもの。
第一次世界大戦下の国体宣揚・国民精神善導に対応したもので、日蓮宗は翌年に奉献本尊に関する告達を発して奉祝献上の意義を示し、これ以後毎年「国体擁護大曼荼羅」ないし「奉献本尊」の名の下に開展式を修した。
この本尊は正法護持財団理事の川合芳次郎が日蓮宗に献じたといわれる(「宗報」一一五号ほか)。
またこの本尊に添付し提出された清水梁山執筆の「奉献本尊玄釈」およびその開光文・説明書の内容を清水龍山が批判、龍山は「大典記念奉献本尊玄釈を読んで清水梁山師に質す」などを書き梁山の天皇本尊論・国体至上主義や真蹟でない奉献本尊を献上した日蓮宗当局を糾明、大きな波紋をよんだ。
大正元年(一九一二)、京都府相楽郡(現・木津川市)加茂町燈明寺において発見されたもので、東京芝二本榎所住川合芳次郎管理の京都府燈明寺伽藍を大正三年に横浜三渓園に移築する際に発見されたとして川合芳次郎が日蓮宗大教院にもちかけた。
これはその図式や宗学的内容から護国本尊とも称せられているが、当初から偽造の指摘があった。
即ち中尊七字の真下に「聖天子金輪大王」、その左右に、「天照大神・八幡大菩薩」を書き分け、日蓮聖人花押の向って左に脇書として「諸天晝夜常為法故而衛護大日本国」「弘安四年五月十五日」と認められ、その他「国土守護関係の経文」が多く書かれているところから名づけられたのである。
しかるにこの本尊は聖人の御署名花押があるので聖人御真蹟として奉献されたが、既に奉献前からその出所、図式、筆致等から問題点が多く真偽未決のものであった。
当時、日蓮宗には清水梁山、清水龍山の二大学匠が居てそれについて大いに論議を戦わした。
梁山は持説である王仏一乗・天皇本尊論者であったから中央の聖天子金輪大王はわが日本国皇帝であり、聖天子が本尊の正体であるとの玄釈を下し、この釈によって奉献本尊開光文を起草した。
開光文とは天長の佳節この本尊を宗務院の楼上に奉展し、その御前で小泉管長に代って酒井総監が捧読した本尊開眼の願文である。
これに対し龍山は梁山の天皇本尊論を国体迎合の邪説であり、聖人及び本宗の本尊を冒涜するものと断じ、真偽未決のものをいやしくも天皇に献上するとは不忠不臣とした。
なお本尊は「信順行者の所用法、信謗未決の人に授与すべきにあらず」と論難した。
当時、聖筆鑑識の権威稲田海素は川合芳次郎(稲田と同町居住)に招かれ本尊の真偽鑑定をし「後世野心家の偽造」と断定、その理由を無遠慮に川合父子に吐露、帰途宗務院(川合宅の前)に立寄り佐野(貫孝)教務課長に委細報告した事実がある。
かくて真偽未決のまま奉献されるに至った。
《清水龍山『偽日蓮義真日蓮義』、高橋謙祐「清水龍山」『近代日蓮教団の思想家』、「日宗新報」、「日宗新聞」、「我宗門」、「中外日報」》