妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

坂本日深

さかもとにちじん #1229

坂本日深

さかもとにちじん

(一八九九-一九七三) 
博文院と号す。
明治三二年九月一二日岡山県津島に生る。 幼名は幸男ゆきお。
は代々法華の信仰を堅持し、不受不施義を信奉してきた。 ために祖父坂本和平は旧幕および明治新政府の弾圧を受け、入獄二、三目の明治三年には瀬戸内海の鹿久居島に配流されるなどの辛酸をなめたが、遂に同志と共に釈日正を助けて日蓮宗不受不施派の再興を成し遂げている。
その祖父の影響を受けた日深は、長ずるに及んで金川妙覚寺法主の嘱望するところとなり、大正一〇年(一九二一)東京帝国大学文学部印度哲学科に入り、島地大等の会下に参じて華厳を学び、次いで木村泰賢、宇井伯寿に師し、同一三年同科を卒、昭和四年(一九二九)には同大学院を修了。
昭和二年立正大学で初めて『華厳五教章』を講じて以来、同六年東洋大学教授、同一六年身延山専門学校講師、同一九年東京文理科大学講師、同二九年東北大学文学部非常勤講師、同三六年九州大学文学部非常勤講師等を歴任して学徒の教育に努め、立正大学においては昭和二三年教授に昇任し、翌二四年から約二〇年間の長きにわたって仏教学部長を務め、その間日蓮教学研究所及び法華経文化研究所の開設に尽力し、後進を督して資料の蒐集・研究等に当らせた。
また昭和二七年に開宗七〇〇年を迎えるに当り、同二五年より一〇年の歳月を費やして『昭和定本日蓮聖人遺文』編纂の事業を推進し、同四三年から四六年までは立正大学長に就任して大学運営に行政的手腕を発揮した。
昭和二九年一二月八日には感ずるところあって転宗し、身延山久遠寺第八四世深見日円の弟子となった。
華厳学の泰斗として学界に令名が高く、著書に『華厳学の研究』『仏陀の智慧』、編著に『法華経の思想と文化』『法華経の中国的展開』、翻訳に『華厳経探玄記訳註』『法華経』上中下、その他論文等多数がある。 文学博士。
昭和四八年二月一〇日七五歳をもって遷化。 大僧正を追贈される。
遺骨は身延端場の坂本家のに眠る。
《『大崎学報』一二七号「坂本日深授追悼号」》

← 事典トップ