聖跡
聖跡
しょうせき
近世の日蓮宗における寺格の一つ。
江戸幕府は寺院法度によって仏教各宗に厳しい統制を加えたが、また本末制度、寺格僧階の制定、寺請制度などの諸制度をもって全仏教を封建体制のなかに組入れていった。
もちろんこれらの制度は各宗の教団事情に即して実施されたのであるが、しかしその大綱は共通した原則に基づいていた。
本末制度が個別的に各寺院間の上下の厳然とした統属関係を示すのに対し、宗団全体における寺院・僧侶の階級的な序列を示すものとして数段階からなる格式が定められた。
それらは各宗それぞれ成立の歴史的事情を異にするためにおのおの独特のかたちをとった。
元来僧階は出家の年時に基づく法臘によっていたが、教団の発展に伴い次第に他のいろいろな条件によって僧階が定められるようになっていった。
これはまた近世の社会制度とも伴うものであって、江戸時代の社会組織は一口に士農工商といわれるが、子細にみればそれぞれの階層の中にまた細かな階級があった。
これと照応するように仏教界にも上下の階級が設けられていったのである。
そしてその階級に随って寺院・僧侶の格式に相違があり、その格式に応じて法衣・袈裟の形や色が異って、それによって身分を表示したのであった。
そして法会の際などには着席順序などに差異が生じた。
日蓮宗においては、末寺の住職で法功著しい者には、本寺から時に聖人号が与えられ、それに相当する衣・袈裟の着用が許された。
聖人号は初め住持に与えられたが、のちに寺格ともせられて聖人跡=聖跡となり、それが永代許されたものを永聖跡と称した。
僧衣については寛永二年(一六二五)一般の僧は綿布の五、七条に黒色の衣、聖人を許された者は紫色の袈裟に色衣と定められた。
京都妙顕寺日延は万治二年(一六五九)末寺の越前大道の妙泰寺住持に聖人号を許しており、元禄一五年(一七〇二)身延三二世日省の時、西谷檀林は永聖跡となっている。
この寺院・僧侶の格式の制はその名残を今に留めて、寺格の方はともかく、僧階については各宗とも細かな階級が設けられている。