妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日暁(一音院)

にちぎょう #2729

日暁(一音院)

にちぎょう

(一六四八-一七一〇)
字は淵海、一音院(いつとんいん)と号す。
肥後八代の生れで、京都蓮久寺に住し、鷹ヶ峰檀林二七世の化主となったが、その伝は詳らかではない。
貞亨・元禄の頃の人で、遠沾院日亨(身延三世)と同時代に活躍した宗学者。
貞亨の始遁世して諸を遊歴し、八代本成寺に滞留の節、浄土宗盛光寺、荘厳寺、円応寺等と説法対論の上、遂に熊本からよばれた真宗の説法僧夢伝と論争し、七月一八日より二〇日まで論難書を往復し、城下騒動の故をもって八代城下より退却を命ぜられると、夢伝は郊外荻原村に、日暁は宮地の宗覚寺に拠って、更に問答を続けたという。
これが「八代問答」と呼ばれ、その記録を彼は貞亨元年(一六八四)『邪正問答記』二巻として著した。
その他の著作には『法華安心録』(元禄一〇年記)、『法華安心録羽翼』(元禄一四年記)がある。
この二書は本宗の信行論を問題として「信」を根本とする宗学を確立させんとした点、特筆すべきものがある。
近世前期、日重・日乾・日遠によって形成せられた宗学は、ややもすると台学偏重に墜ち入り、本化の宗旨が軽んぜられる風があった。
一音日暁の宗学論はこの潮流に対し、本覚門に立脚する本化の宗学樹立を目指し、重門学の修正を企てているのである。
その特徴は、浄土念仏との激しい論争の影響とも考えられるが、学の中心に信をおいて組織化しているところにある。
『法華本門安心録』(九七条)、『同羽翼』(一二〇条)は、天台と日蓮の安心の相違を明らかにせんとし、『摩訶止観』所談の性具三千論に対する本宗の久遠証得の一念三千を強調して唱題成仏を言わんとする。
成仏の要法、行者の安心を論じて、種脱一双の本果証得の三千をもって下種即成仏をいい、この本果下種の題目を唱える唱題を成仏の正因とするのである。
また摂折論においては末法折伏論をとる。末法を本未有善の逆緑とし下種折伏をいうのである。
この点からも、摂受主義一般の近世において注目すべき宗学者である。
三書とも『日蓮学全書』所収。 《『日本仏人名辞典』「日暁」の項》

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