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新訳旧訳

しんやくくやく #2385

新訳旧訳

しんやくくやく

一般には同一の経典が数回翻訳される場合、前の翻訳を旧訳、後の翻訳を新訳という。 しかし特に中における経典翻訳の歴史の上では、唐の玄奘以後の翻訳全体を新訳といい、それ以前の翻訳を旧訳という。 なお、近代になって羅什訳の出る前を古訳ということがある。
における経典の翻訳は後漢の安世高、支婁迦讖に始まるが、後秦の鳩摩羅什以前の翻訳は、ほとんど個人か、ある少数の篤志達によって行われていた。 従って翻訳の仕方、訳文、訳語にもそれぞれ独自なものがあり、完全でない場合も少なくなかった。 それが後秦の家的援助と、中各地より羅什の名声を慕って集った優れた求道者達の協力により行われた、羅什の翻訳は従来の難渋な訳文とは比較にならないような、漢文として解のし易い多数の名訳経論を生むこととなった。 しかし号の中で用いられた訳語は従来の訳語を改めたものも少なくないが、広く慣用されていたものはそのまま踏襲された。
これに対して唐代に入り、インドに留学して中人として梵語を習得した玄奘は、新たに将来した梵本を翻訳するに当り、原語を意訳するにせよ、音訳するにせよ、略訳せずに的確に漢語に移し、訳文も原本に忠実な訳をする仕方を採った。 このような翻訳をなした者は玄奘の外にもいたが、特に玄奘は羅什等の訳を批判して訛謬とし、新訳のみを正確となして『続高僧伝』巻二五の法沖伝によれば、旧訳の諸経論をずることも許さなかったといわれる程であった。 以下、玄奘の『西域記』によって、その若干の例を示すと、第二巻に天竺の名称―旧くは身毒(Sindhu)といい、あるいは賢豆(Sindhuのイラン語化?)という。 今は正音に従って度(Indu 玄奘は月の意味とするが、この用例は現在不明)というべし、と述べ、従来の訳語を改め、玄奘当時のインドで使われていた正しい発音の正確な音写としてを用いることを主張している。 以下の( )内は挾註。
インドの数量の名称―蝓繕那(旧に由旬といい、また由延ともいう。 皆訛略なり)。
第三巻に、阿縛盧枳低湿伐羅(唐に観自在と言う。 字を合して連声すれば、梵語は上の如し。 文を分ちて散言すれば、ち阿縛盧枳多にして、訳して観という。 低湿伐羅は訳して自在という。 旧に訳して光世音となし、或いは観世音、あるいは観自在という。 皆訛謬なり)。
第四巻に舎利子(旧に舎梨子といい、また舎利弗という。 訛略なり)、没特伽羅子(旧に目乾連という。 訛なり)。 布刺拏梅咀麗衍尼弗咀羅(唐に満慈子といい、旧に弥多羅尼子という。 皆訛略なり)、羅枯羅(旧に羅喉羅といい、また羅云という。 皆訛略なり)、曼殊室利(唐に妙吉祥といい、あるいは曼殊尸利と言う。 訳して妙徳という。 皆訛略なり)。
第五巻に、伐蘇畔菩薩(唐に世親という。 旧に婆藪盤豆、訳して天親という。 訛謬なり)。
第七巻に、梅咀麗耶(唐に慈という。 ち姓なり。 旧に弥勒という。 訛略なり)、薩婆曷刺他悉陀(唐に一切義成という。 旧に悉達多という。 訛略なり)。
第九巻に姑栗陀羅短咤山(唐に鷲峯という。 また鷲台ともいう。 旧に耆闍崛山という。 訛なり)、隝波索迦(唐に近男という。 旧に伊蒲塞といい、また優波塞といい、また優婆塞という。 皆訛なり)、隝波斯迦(旧に近女という。 旧に優婆斯といい、また優婆夷という。 皆訛なり)等と旧訳を改めている。
このように当の字音を正確に漢語に音訳する、あるいは意訳するやり方は、玄奘と同じくインドに留学した義浄等によっても行われた。 義浄の場合、例えば経題なども原文のまますべてを翻訳したため、非常に長い経名となった。
遺文『天台真言勝劣事』に言われる旧訳、新訳の場合は、旧訳である東晋の仏陀跋陀羅訳の六〇巻の『華厳経』で盧舎那と略訳されたものを、新訳である唐の実叉難陀訳の八○巻の『華厳経』では毘盧遮那と具称するのを指し、それが内容的な相異の問題にまで及んで行く。 このように新訳、旧訳の翻訳上の相異が後に、経論の解釈上に相異を生じ、抗争の原因ともなることがあった。
現在では新訳、旧訳の相異は、翻訳の正訳、誤訳の問題のみではないと見ている。 初期に中に伝来した典は、後期のような標準梵語で書かれたものだけではなく、俗語(プラークリット)、パーリ語、あるいは西域地方の言語、更にはそれらを暗誦によって伝えたものもあり、原語を漢語に移すに、既に原音そのものが、俗語であったり、簡略化されていたりしたものがあった。 また翻訳の仕方についても、訳者が中人の好みに応じて、取捨し、主要な部分のみを訳出する場合があり、意訳、直訳の是非は旧訳の代にも常に問題となった。 新訳による原文に忠実な新訳が出たにもかかわらず、旧訳の著名な経典が多く尊重されて今日に到っているのは、原文に忠実な訳が必ずしも用いられるとは限らず、漢文として読誦者の意に適うことが必要でもあった。 羅什訳のような名訳といわれる旧訳の経典は既に人々のに定着していて、新訳が出ても交代することがなかった。 玄奘の新訳の優れた面は特に論書の上で発揮され、阿毘達磨、瑜伽唯識等の多数の論書の翻訳は後の教教理の研究に大きな影響を与え、それに用いた新訳の教術語は、今日の書一般に用いられている。
《『遺文辞典』歴史篇「新訳」「旧訳」の項、『広説仏教語大辞典』「新舊兩譯(しんくりょうやく)」の項、『岩波辞典』「旧訳・新訳(くやく・しんやく)」の項》

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